2016年7月29日放送/TBS系 19:00~
爆報!THE フライデー
で名曲「だんな様」で一世を風靡した紅白歌手・Mの現在を追うとありますが、歌手三船和子さんの事です。
三船和子さんは小学校の音楽の先生が「のど自慢大会」への参加を勧めてくれるほど歌が上手い少女でした。
中学卒業後、レコード会社の新人歌手オーディションを受け、音楽事務所にスカウトされる。事務所の先輩に付いていき作曲家の故・遠藤実さんの目に留まったのです。
三船和子さんが過去の事故で声が出なくなり一時歌手を引退したことはあまり知られていません。
三船和子の今現在
にんにくを食べまくりの健康法
を夫婦で行っているようです。
自宅の冷蔵庫にもにんにくがいっぱい保管されています。
三船和子のプロフィール
本名: 緒方 一子 (おがたかずこ)
愛知県一宮生まれ
生年月日: 1947年9月1日(68歳)
16歳で上京。
1965年発足のミノルフォンレコード第1号歌手として「ベトナムの赤い月」でデビュー。
1965年「他人船」がヒット。
1968年交通事故で声が出なくなり引退。
リハビリ後1982年100万枚を超えるセールスとなった「だんな様」で奇跡の再起を果たします。
1995年NHK紅白歌合戦初出場。
尊敬する人:師匠の作曲家故遠藤実先生
血液型:O型
趣味:花を育てること
好きな色:白・藤色
好きな花:アカシア・カサブランカ・コスモス
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三船和子の事故の様子
追突事故で鞭打ちショックで声が出なくなりました。
「歌手志望なら、聞かせてみて」と言われ、遠藤さんのレコード会社「ミノ
ルフォン」の第一号歌手になれました。順調なスタート。三枚目のレコード「他人
船」も大ヒットします。
これからという時、デビュー3年目、乗っていたタクシーが、ガードレールに激突する事故に遭
ってしまいます。「居眠りをしていました。“しまった”と言う運転手さんの声を聞いた記憶があり
ますが、その後は、窓をたたく目撃者の声で気が付きました」軽症だったが、ムチ打
ちで声が出なくなっていました。
医師からは「職業歌手は無理」と、宣告されます。厳しい現実、歌いた
くても歌えない、引退です。失意のどん底にいる彼女を見舞った男性がいました。人生
は歌だけじゃない。別の生き方もあると励まされ結婚。いま、マネジャーを勤めてく
れるご主人でした。
突然声がでた?
「実家の建設業を継いでいた主人との結婚生活でした。子供も3人恵まれました」浮
き沈みの激しい建設業で、ガンバリ屋母ちゃんは逞しく生きてきた。引退から14年、
「子供を叱っているうちに突然声が出るようになったんです。でも歌手に戻れるとは
思っていなかった」
「主人の後押しで再びデビュー」
そこに届いたレコード会社設立20周年パーティーの案内状。歌手仲間に押し出される
ように会場で歌う羽目に。歌えたのです。すぐに復帰の話が持ち込まれました。「“歌
いたかったんだろう。もう1度やってみたら”と、主人が言ってくれて」長女は中学1年、
長男は小学6年、次男は小学4年になっていました。
「娘が同級生を殴る」
「その頃です。長女の学校から呼びだしがきて、行ったら娘が、同級生を殴ったと言
う。理由は“お前の母親は、売れない演歌歌手だろう”と言われて腹を立てたそうです。
建設業界の娘ですから気が荒かったんでしょうか」「それで、私が歌手だと言うことが知れ渡り、先生、子供たち、父兄の皆さんも応援してくれるようになって」以後歌手活動を続けています。
三船和子画像
三船和子「だんな様」
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