緊急特番!今夜限定…スポーツ界を揺るがした4大伝説
TBS系 7月27日(水)19:56~22:54 MBS系列
津田恒美と原辰徳の対決について
壮絶な物語があります。
故津田恒実は広島カープ一筋に炎のストッパーと呼ばれた男です。
享年32歳の働き盛りに脳腫瘍のため手術を受けるも、死去
管理人が大好きな選手の一人です。
結構打たれたこともありましたが、絶対逃げなかったそれが津田恒実の魅力です。
故津田恒実の経歴
氏名:津田恒実(つだつねみ)
生年月日:1960年8月1日~1993年7月20日(満32歳没)
身長:181cm
体重:79kg
右投右打
プロ入り:1981年 ドラフト1位
初出場:1982年4月10日
最終出場:1991年4月14日
初代の広島市民球場にはその功績と人柄を讃え、「直球勝負 笑顔と闘志を忘れないために」の文章が浮き彫りにされたメモリアルプレート(津田プレート)が設置されていました。
同球場に設置された個人の記念碑は、連続試合出場記録を樹立した衣笠祥雄に次いで2人目。後日、大野豊ら広島の選手は、試合に出場する時必ずこのプレートに触れていくというエピソードが「勇者のスタジアム・プロ野球好珍プレー」内で紹介されました。
現在、このプレートは2009年に開場した広島の新本拠地であるMAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島に移設されている。
野球体育博物館(現・野球殿堂博物館)は2012年1月12日、津田が広島時代の同僚である北別府学と共に野球殿堂入り(競技者表彰・プレーヤー表彰)したことを発表しました。
競技者表彰・プレーヤー表彰の被投票資格(引退後20年以内)最終年、当選必要数をわずか1票上回る237票を集めての選出だった。殿堂入り表彰は津田の命日である7月20日のオールスターゲーム第1戦(京セラドーム大阪)の試合前に行われました。
2012年秋に周南市が津田の功績を称え、同市野球場の愛称を公募。12月14日に球場の愛称が「津田恒実メモリアルスタジアム」と決定しました。
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津田恒実の成績
登板数:286
勝利:49
敗戦:40
セーブ:90
タイトル:優秀救援投手:1回(1989年)
表彰:
新人王(1982年)
カムバック賞:1回(1986年)
日本シリーズ優秀選手賞:1回(1986年)
ファイアマン賞:1回(1989年)
野球殿堂入り(競技者表彰:2012年)
記録
津田恒実VS原辰徳
入団時から2歳年上の原監督を意識していた津田恒実は、1982年のプロ一年目で11勝を挙げ新人王を獲得する大活躍。プロ5年の1986年から抑えに転向していました。
「“真っ直ぐ行きます”みたいな感じで放るようなそういう投手でした。特に力と力の勝負ができるような人だったから勝負が面白かったです」と津 田氏の印象を語る原辰徳だったが、1986年9月24日、後楽園球場で行われた対戦では、“原の野球人生を変えた津田のストレート”と言わ れる真っ向勝負があったといます。
9回広島3点リードで両者の対決が実現。当時、キャッチャーを務めた達川光男氏は「名勝負だったなという感じでしたね。原辰徳も津田に対しては踏み込みが違いました」と振り返る。
そ の7球目、津田氏のボールに対しフルスイングで応えた原選手は、その瞬間、左手有鈎骨骨折を負った。「なんせ彼は100%。彼の全力投球を見て自分も触発 された。“よし”と思ってきたボールを全力で初めて全力で振りましたね」と語った原選手。
その背景には「ある日、手首を痛めてですね、ごまかしごまかし やってた時期。チームも非常に大事なゲームだったし、一発勝負を懸けよう。逆に思いきって、どうなってもいいというくらいの覚悟を決めたような気がしま す。そしたらああいうカタチになった」という事情があったことも明かしています。
「別の投手だったらフルスイングしてい ました?」と訊かれると「してないと思います。それは津田恒実だったから、自分はやったと思う」と答えた原辰徳は、「左手グリップの持ち方が凄く難しくなった」とい い、その翌年から打撃スタイルの変更を余儀なくされ、結果引退まで1986年の本塁打数を超えることはできませんでした。
原辰徳の野球人生を変えてしまった一振り。しかし後悔は全くないといいます。
またいみじくも1990年、右肩や右膝の故障の為に僅か4試合の登板に終わると、同年のシーズン終了後から頭痛をはじめとする身体の変調を訴えるようになります。
1991年、前年から続く体調不良を抱えたまま開幕を迎え、4月14日に無理を押して広島市民球場(当時)で行われた読売ジャイアンツ戦で、1点リードの8回表に先発した北別府学の後を受けて登板するが、無死二塁・三塁のピンチを招き、原辰徳に同点適時打を打たれるなど大乱調のためわずか9球で降板となり、敗戦投手となる。これが自身の生涯最後の登板となりました。
たまたま生涯最終の登板も原辰徳でした。運命を感じずにはおられません。
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