西本聖(元投手)の実績!長嶋監督や江川投手との関係!とびきりの秘話は?


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緊急特番!今夜限定…スポーツ界を揺るがした4大伝説

2016年7月27日(水)  19時56分~22時54分

西本聖投手は、主に1980年代、江川卓投手と並ぶ2枚エースとして活躍しました。

西本聖投手は、愛媛県松山市出身。松山商業高校から1974年ドラフト外で、長嶋巨人1年目に入団。その年のドラフト1位は、甲子園のアイドル定岡正二投手でした。

あの左足を高く上げた美しいフォーム。誰もが一目置く選手でした、定岡や江川などの同年代のスターと同じ時代を生き、努力と練習量で確固たる地位を築きました。

 

西本聖は入団時から実績の無さでまったく評価されず、苦しい投手生活を送ります。
華々しいスポットを浴びて入団した定岡投手とは対照的に、甲子園経験もなくドラフト外で入団した西本投手は、まったく目立たない存在でした。回りも西本聖投手にはまったく期待していない。
そんな定岡投手をライバル視した西本投手は、並はずれた練習量で頭角を表し、入団2年目の1976年4月15日、甲子園の阪神戦で一軍初登板をはたします。
この試合では、最初の打者のマイク・ラインバック選手にホームランを打たれる等、1回3失点。
結局この年は、この登板のみに終わりますが、イースタン・リーグでは12勝をあげ最多勝を獲得し、将来のエースとして期待される事になります。

西本投手が、当初から武器としていたのは、シュート。
当時の長嶋監督は、西本投手のシュートを初めて見た時、「天下一品のシュートだ、これだけで勝てる」と絶賛したそうです。
当時シュートで有名な投手といえば、大洋の平松政次投手がいましたが、カミソリシュートといわれた平松投手とは対照的に、西本投手のシュートは、球速より変化量と切れ味を重視していました。
好調時には、アウトコースからインコースぎりぎりに曲がるので、打者の大きな驚異となりました。

このシュートを武器に、入団3年目の1977年は開幕当初から一軍に定着し、主にリリーフとして活躍します。
初勝利は、6月13日の川崎球場での大洋戦。6回一死から2番手として登板、ビハインドゲームでしたが、8回まで投げ無失点。9回表に、味方が打者一巡の猛攻で逆転したため、初勝利が転がりこんできました。
実は、この試合の数日前に、父親が亡くなっており、亡き父に捧げる初勝利でもありました。
さらにその半月後には初セーブをあげる等、すでにチームにとって、なくてはならない存在になっており、この年47試合に登板、8勝5敗4セーブ防御率2.67の好成績をあげました。
9月には初完投勝利、10月には初完封勝利もあげています。
新人王候補にもあがりましたが、惜しくも同じ8勝をあげた斉藤明夫投手(大洋)に次ぐ次点に終わりました。

翌1978年は56試合に登板、4勝3敗2セーブでしたが、規定投球回数(130回)にあと一歩の129回1/3を投げています。
この時点で、同期のライバル定岡投手は、まだ一軍未勝利で、大きく水をあける事になりました。

1979年、後に新たなライバルとなる江川卓投手が入団してきます。
西本投手はこの年、44試合8勝4敗6セーブをあげ、初めて規定投球回数に達し、防御率も2.76と好成績をあげます。
ちなみに江川投手は、9勝10敗防御率2.80という成績でした。
この年8月の広島戦で、ふがいないピッチングをし、宿舎のホテルの一室で、角三男投手と共に、長嶋監督から20発におよぶ往復ビンタを受けるという実話が残っています。
現在だったら、間違いなく暴力事件として問題になっていると思いますが、この時の長嶋監督の涙ながらの「愛のムチ」が後の自分の成長につながったと本人は自著で語っています。

1980年には、14勝14敗2セーブ防御率2.59と、初の二桁勝利をあげました。
ちなみに江川投手は16勝をあげ最多勝に輝いています。
西本投手は、この年から1985年まで6年連続二桁勝利をあげ、また江川投手とは毎年開幕投手を争うライバル関係となっていきます。(実際この年から1987年までの8年間、1年おきにこの2人が開幕投手を務めています)

1981年、前年に長嶋監督が解任され、藤田元司監督が就任したこの年、キャンプ中に夫人が自宅で、ガス爆発事故にあい、大怪我を負います。
この為、シーズン前の調整は不十分でしたが、藤田監督は、西本投手の逆境に強い性格を見抜き、中日との開幕戦に先発投手として指名します。
西本投手は見事完投勝利をあげ、そのウイニングボールを持って病院に向かい病床の夫人を見舞いました。
この年18勝12敗防御率2.58をあげ、4年振りのリーグ優勝に貢献、投球回数257回2/3はリーグ最高でした。
しかし江川投手が、それを上回る20勝6敗防御率2.29奪三振221という成績を残した為、沢村賞は江川投手がとるものと思われましたが、大方の予想を裏切り、マスコミ投票の結果、西本投手が沢村賞に選ばれます。
この選考について、この頃江川投手が、入団の経緯等もあり、マスコミから嫌われて、西本投手に投票が流れたのではないかという疑問が、なげかけられ翌年からマスコミによる投票から、現在のようなプロ野球OB選考委員による選考へと変更されました。
どちらにせよ両者に、すっきりしない受賞でした。

 

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このモヤモヤを、西本投手は日本シリーズではらします。
1981年の巨人VS日本ハムの後楽園決戦(両チーム共に、当時後楽園球場を本拠地にしていた為、この年の日本シリーズは全試合後楽園球場で行われました)。第1戦をおとして迎えた第2戦。西本投手は初回にソレイタ選手にホームランを打たれますが、その後は完璧な投球を見せます。被安打2毎回の10奪三振で1失点完投勝利をあげます。
さらに2勝2敗で迎えた第5戦。今度は毎回のように走者を背負いますが、得意のシュートで4併殺をとるなど、13被安打されながら完封勝利!
結局4勝2敗で8年振りの日本一に貢献し、シリーズMVPに選ばれます。
日本ハムの大沢啓二監督も「さすが沢村賞をとるだけの投手だ」と脱帽でした。
江川投手も2勝をあげ、このシリーズ2人で全4勝をあげました。

その後、1982年、1983年共に15勝をあげます。
そして1983年、西武との日本シリーズで、また快投を見せます。
0勝1敗で迎えた西武球場での第2戦、シュートで強打の西武打線を手玉に取り完封勝利!
さらに2勝2敗で迎えた後楽園球場での第5戦も、2失点で完投勝利!
この試合の4回、西武の4番、田淵幸一選手にホームランを打たれ、前回のシリーズ以来の無失点記録が29回で、途切れますが、この記録は現在も破られていません。
この時ホームランを打った田淵選手は、野球人生で初めてバットを短くもったそうです。「あのシュートを攻略する為にプライドを捨てた」と後に発言しています。
西本投手のシュートが、いかに凄かったかを物語るエピソードと言えるでしょう。
このシリーズは、最終戦までもつれ、西本投手は、西武球場での第7戦に3度目の先発をします。
第6戦でもリリーフで投げており、雨で一日流れた後、中1日での先発でした。6回まで2-0とリードしますが7回に、疲労からシュートの切れがにぶったところを、満塁からテリー・ウイットフィールド選手に走者一掃の逆転二塁打を打たれ、力つきます。
結局、このシリーズ巨人は3勝4敗で西武に敗れるのですが、現在でも、球史に残る名勝負の日本シリーズとして語り継がれています。
西本投手は敢闘賞に選ばれました。

その後、王貞治監督が就任した1984年から、徐々に成績が下降します。
84年は15勝をあげますが、85年は10勝、86年は7勝に終わります。
そんな中、西本投手が輝いたのは、1987年の後楽園球場、中日との開幕戦でした。この年星野仙一新監督が就任した中日には、4番にロッテから移籍してきた、2年連続三冠王の落合博満選手が入っていました。
この開幕戦に王監督は前年16勝の江川投手をさしおいて、西本投手を先発に指名します。
西本投手は、落合選手に対して、なんと全球シュートで勝負を挑みます。注目の対決は初回、いきなり行われました。
ツーアウトでランナー1人。迎えるバッターは『四番 サード落合』
セントラルリーグ初の公式戦で、対戦するピッチャーは パリーグには見当たらない変化球投手。
落合選手は当然ながらシュート一本に狙いを定めておりました。

注目の第一球、西本投手は いきなり初球から得意の内角を鋭く抉るシュートを投げ、これが見事な曲線を描いて足元へ落ちてゆく。

落合選手は狙い通り、左足を下げてバットを振り抜きましたが、シュートの切れ味鋭く、ショートゴロに倒れてしまいました。

初対決は 僅か一球の勝負でしたが、これがこの日の全てでございました。

乗りに乗った西本投手は、その後もドラゴンズバッターを薙ぎ倒し、落合選手に対しては 投げる全てのボールをシュートで決め、一球たりとも遊ぶことなく、シュート・シュートのオンパレード。

これは敵であった中日の星野仙一監督の印象に大きく残ったのは言うまでもありません。

この後の西本聖投手の巨人から中日へのドラフトへとつながります。

 

もう他の球種は無いような快投。この年パリーグから移籍の落合博満は驚いたに違いありません。

パリーグで2度の三冠王に輝いた落合にとっておそらくセリーグのピッチャーなぞ手玉に取って見せるという自信があったはず、フォームを崩された落合はセリーグ初年度は

平凡な成績で終わります。

結局 落合選手は全打席 シュートに詰まったショートゴロに終わり、ほろ苦いセ・リーグデビューとなってしまいました。

西本投手は開幕戦を完封で勝利、確執が噂されている王監督とも、この日ばかりは慢心の笑顔で握手を交わしておりました。その結果落合選手を4打数1安打と封じ込め、完封勝利を飾ります。
しかし、これが巨人における西本投手の最後の輝きでした。
この年は結局8勝に終わり、またこの年にライバル江川投手が、突然の引退。それで気が抜けたわけではないでしょうが1988年はわずか4勝に終わります。

また皆川睦雄投手コーチとの確執もありました。

王監督との確執も噂されていました。

首脳陣との確執と力が全盛期よりおちた選手の行く末は、もうトレードしかありません。

 

そんな西本投手に目をつけたのが、中日の星野監督でした。
星野監督は、あの開幕戦でやられた時に、いつか西本投手を獲得しようと決意していたといいます。

こうして1989年西本投手は、中尾孝義捕手とのトレードで、加茂川重治投手と共に、中日に移籍します。
この年西本投手は見事に復活し、自己最多の20勝をあげ、巨人の斎藤雅樹投手と共に最多勝を獲得、カムバック賞も受賞します。

ところが、ここからが、イバラの道でした。
翌1990年こそ11勝をあげるものの、1991年に椎間板ヘルニアの手術を受け、この年2勝、1992年は1勝にとどまり、中日を自由契約になります。

1993年はオリックスに在籍し、5勝をあげますが、契約交渉が決裂して、再び自由契約となります。

そして1994年、恩師長嶋監督が復帰していた巨人のキャンプにテスト生として参加。
長嶋監督の意向で合格しますが、公式戦での登板はなし。
この年限りで現役を引退します。
当初は功労者である西本投手に対してシーズン中の引退試合も検討されましたが、この年はあの10.8決戦で最終戦まで優勝争いがもつれ、結局見送られました。

シーズン終了後、同期入団でライバルであり、親友でもあった定岡正二さんの企画で、多摩川グラウンドで引退試合が行われました。
定岡さんは、自分の仲間を集めてサダーズを結成し、西本チームと対戦。
西本チームには彼を慕う桑田真澄、山本昌弘、中村武史、立浪和義、平井正史(以上敬称略)といった西本投手が所属した球団にいた選手たちが集まりました。試合は最後、始球式のために駆けつけていた長嶋監督が、急遽代打として登場。西本投手は、師である長嶋監督を打ち取り、20年にわたるプロ生活を終えました。

引退後は、野球解説者を経て、2003年には阪神の投手コーチを務め、2010年から2012年はロッテのコーチ、2013年からはオリックスの一軍投手兼バッテリーコーチに就任しています。

 

西本聖と長嶋茂雄との関係

1974年のドラフト会議で、巨人が1位指名をしたのは鹿児島実業の定岡正二だった。定岡は3年生の時エースとして原辰徳がいた東海大相模を延長15回の末破り、鹿児島県勢で初となる甲子園ベスト4を果たしていた。甘いマスクと実力もともない女子中高生のアイドルだった。

松山商業の西本は、エースとなった3年生の県予選で、南海へドラフト1位で入団した南宇和の藤田学と投げ合い0−2で敗れ、甲子園出場はできなかった。
西本はドラフト外で巨人へ入団したが、投手としてでなく内野手へ転向という見方もされていた。

長嶋監督が現役引退後初の獲得選手たち。

西本は当初ドラフト外であまり注目されていなかったが、西本のシュートをみた長嶋監督は、シュートだけで勝てるピッチャーになると確信したようです。

後列左より2番目 西本聖

前列真ん中 定岡正二

写真特集:長嶋茂雄の軌跡 (1551296)

ひな壇中央には定岡が座り、後列に西本がうつむきかげんに立っている。

この関係がドラフト1位の定岡正二とドラフト外西本聖の関係性です。

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西本聖と江川卓の関係

江川卓は高校時代より怪物と言われ、プロにも注目された選手であった。西本聖に対しては高校時代にはそんなに、注目はしていなかったようです。

反対に西本聖は松山商業が練習試合で作新学院に入った折り、バッターボックスで対戦し、浮き上がる速球に手が出なかったそうです。強烈に印象に残ったようです。

江川のプロ入りに際して、西本の素直な感想

1人の力ある投手が入ってくるということは、その分、先発ローテーションの枠がなくなるわけですよ。自分はプロ5年目で、実績のない、これから実績を作ろ うとしていた時でしたから、当然、「(先発枠から)外れるのは自分だろう」って思っていました。そう考えれば考えるほど、「来るな!」って思いましたね。

しかしそんな”怪物”江川も唯一プロですごい球を挙げれば、西本聖の”シュート”と迷わずいうそうです。プロに入ってから強烈なライバル心をもつことになりました。

 

まとめ

かって江川卓と故小林繁の対談でもいいものをみた感じがしました。

今日の西本×江川の対談はどうでしょう?

お二人はこんなことを話ました。

●巨人在籍当時の秘話

西本投手と江川投手お互いが登板した時は負けろ、打たれろと思っていた

●江川投手

沢村賞はどうしても取りたかった。

●西本投手

江川卓が32歳の若さで引退したことが許せなかった。

●西本・江川2人とも

同じチームにエースは二人いらない。

左のエース右のエースなどナンセンス左も右もない

 

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