重信房子の今現在は?日本赤軍の事件と子供や夫も気になる!

重信房子のことが

6月24日(木)奇跡体験!アンビリバボー

19:57~ フジテレビ系列 で放送されます。

1970年代の学生紛争には必ず出てくる名前です。

長らくパレスチナ地域に住み、それでも日本の学生運動に

強い影響を与えた”重信房子”とはどういう人物だったのでしょう。

重信房子の今現在や子供や夫、日本赤軍との関係を調べました。

日本赤軍(にほんせきぐん)は、中東など海外に拠点を置いて活動を行っていた日本の新左翼系団体。国際テロ組織。1971年に共産主義者同盟赤軍派の重信房子らが結成し、

1970年代から1980年代にかけて多数の無差別テロ事件(日本赤軍事件)を起こした。2001年に解散。アメリカ合衆国国務省の国際テロリズム対策室は日本赤軍を「国際テロ組織」と認定していたが、解散したために認定を解除した。

 

重信房子の今現在

重信 房子は、日本の新左翼活動家、
テロリスト。元赤軍派中央委員、日本赤軍の元最高幹部である。
ハーグ事件の共謀共同正犯として有罪となり、懲役20年の判決を受けた。
戸籍名は奥平房子。
但し奥平とは実際の婚姻関係はない。

2007年12月20日に東京高等裁判所は一審判決を支持し、控訴棄却された。

重信は上告したが2010年7月15日に棄却が決定し刑が確定した。

重信は上告棄却決定に対する異議申し立てを行ったが、2010年8月4日に最高裁判所第2小法廷(竹内行夫裁判長)は棄却する決定をし、懲役20年とした一・二審判決が確定した。重信はその後服役した。

平成20年ごろに大腸がんがみつかり手術

小腸にも移転していたらしく、そちらも切除

重信房子は2014年現在、八王子医療刑務所にて抗がん剤の治療を行って

います。

刑期の残りとガンの進行具合の追いかけっこです。

 

刑期を全うできるか、病気のため医療刑務所で病死するか。

どちらにしてもシャバで自由を全うできるのは非常に厳しい

と言わざるを得ませんね。

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重信房子の娘 重信メイ

しげのぶめい

重信メイ(しげのぶメイ、1973年3月1日 – )は、レバノン系及びパレスチナ系日本人のジャーナリスト、元ニュースキャスター、

一時期女優業も務めた。レバノンのベイルート出生。専門分野は、パレスチナ問題を中心に中東問題、中東メディア、アラブ世界、イスラム文化、イラク、クルド問題など。日本語、英語、アラビア語を操るトライリンガルでもある。本名は、奥平(おくひら)メイ。2016年6月現在未婚。

父は、パレスチナ人活動家で、イスラエルとの闘争中にミサイル攻撃により暗殺されたと推測されています。

 

1997年にベイルート・アメリカン大学を卒業後、同大学国際政治学科大学院に進学、1998年~2001年レバノン大学で、ジャーナリズムを学びました。

出生後、どこにも届け出がされていなかったため28年間無国籍だったが、2001年3月5日に日本国籍を取得し、同年4月3日に初来日しました。

 

 

日本赤軍の起こした事件

(国内)

国内事件はほぼ連合赤軍がおこしたもの

日本赤軍とは別組織です。

連合赤軍(れんごうせきぐん)は、1971年から1972年にかけて活動した日本のテロ組織、新左翼組織の1つ。共産主義者同盟赤軍派(赤軍派)と日本共産党(革命左派)神奈川県委員会(京浜安保共闘)が合流して結成された。山岳ベース事件、あさま山荘事件などを起こした。

 

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(海外)

テルアビブ空港乱射事件

1972年5月30日、奥平剛士、安田安之、岡本公三らがイスラエルのテルアビブのロッド国際空港(現在のベン・グリオン国際空港)の旅客ターミナルをチェコ製の自動小銃Vz 58と手榴弾で攻撃。

ターミナルに居合わせた民間人ら100人以上を殺傷(死者24人)し

、民間人を狙った無慈悲な無差別テロ事件として国際的な非難を呼んだ。当時はパレスチナ人によるテロ行為への警戒が厳しく、そのためPFLPは日本人による攻撃なら警戒されないだろうと考えて日本赤軍に攻撃を依頼したとされる。

岡本公三が逮捕され、残りの2人は死亡した。

なお、この事件の首謀者たちは「日本赤軍」とは名乗っておらず、日本赤軍としての意識もないので、厳密には日本赤軍の起こした事件ではないといわれています。

 

ドバイ日航機ハイジャック事件

1973年7月20日、丸岡修と4人のPFLPメンバーが、パリ発アムステルダム経由東京行きの日本航空のボーイング747型機をアムステルダム離陸後ハイジャックしました。

ハイジャック直後に2階のラウンジ付近で手榴弾が爆発し犯人グループ1人が死亡、客室乗務員1人が軽傷を負った事件。

その後、アラブ首長国連邦のドバイ国際空港、シリアのダマスカス国際空港等を経由し、リビアのベンガジ国際空港へ向かった。乗員乗客141人の解放後機体をベンガジ空港で爆破し、リビア当局に投降した後、リビア政府の庇護の元逃亡。

 

シンガポール事件

1974年1月31日、和光晴生と山田義昭とPFLPメンバー2人の計4名が、シンガポールのブクム島にあるロイヤル・ダッチ・シェルの石油精製施設を襲撃し、

移動用ボート「ラジュー号」を乗っ取り、乗員5人を人質に取り、国外への移送を要求した。しかしシンガポール政府はこの要求を拒否し、

膠着状態に陥ったものの、その後2月6日に下記の在クウェート日本大使館占拠事件が起きたことで、日本政府の要請を受けて急遽シンガポールに派遣された日本航空の特別機で、2月8日に4人は武装したままクウェートに向かいました。

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在クウェート日本大使館占拠事件

上記のシンガポール・シージャック事件が膠着状態に陥ったため、これを打開するために日本赤軍とPFLPのメンバー5人がクウェート市内 にある在クウェート日本大使館を2月6日に占拠し、

大使以下の大使館員ら12人を人質に取り、シンガポール・シージャック事件の犯人の武装したままでの国 外逃亡を要求した。これに日本政府とシンガポール政府が応じ、2月8日に日本政府が用意した日本航空の特別機で犯人4人をクウェートに移送しました。

さらに同機はクウェートで大使館占拠事件の犯人らを同行し南イエメンのアデンへ向かい、現地で投降した。なお投降した両事件の犯人グループは、その後南イエメン政府の黙認の元逃亡した。

 

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ハーグ事件

1974年9月13日、奥平純三、和光晴生、西川純の3人が、拘束されたメンバーの釈放を目的にオランダのハーグにあるフランス大使館を占拠した。フランス政府は超法規的措置として逮捕していたメンバーを釈放した。

 

クアラルンプール事件

1975年8月4日、拘束されているメンバー及び、仲間に引き入れようと目をつけた新左翼活動家の釈放を目的に、マレーシアの首都クアラルンプールにある、アメリカとスウェーデンの大使館を占拠し、アメリカの総領事らを人質に取った。日本政府(首相:三木武夫)は要求に応じ、超法規的措置として日本赤軍への参加を拒否した2人を除く5人釈放した。

 

ダッカ日航機ハイジャック事件

1977年9月28日に、インドのボンベイ国際空港を離陸直後の日本航空のダグラスDC-8型機をハイジャックし、バングラデシュのダッカ国際空港に強制着陸しました。

福田赳夫首相は要求(クアラルンプール事件と同じような内容)に応じ、「超法規的措置」として拘束中のメンバーら6人(日本赤軍・奥平純三、東アジア反日武装戦線・大道寺あや子と浴田由紀子、赤軍派・城崎勉、獄中組合・泉水博と仁平映)を解放し、600万ドルの身代金を支払いました。

釈放されたメンバーはダッカ国際空港で日本赤軍と合流し、シリアのダマスカス空港で給油した後、アルジェリアのダニエル空港で人質を解放した。日本政府がSATを設置する要因となった事件。

 

ジャカルタ事件

1986年5月14日に、ジャカルタのアメリカ大使館にロケット弾が発射された。その後の現場検証で発射元のホテルの部屋から城崎勉の指紋を採取したため、日米捜査当局は日本赤軍の犯行と断定された。

 

三井物産マニラ支店長誘拐事件

1986年11月15日午後3時頃、三井物産マニラ支店長である若王子信行が、ゴルフ帰りにフィリピン共産党の軍事組織、新人民軍(NPA)のメンバー5人に誘拐された。

1987年1月16日、三井物産本社や報道各社に脅迫状や写真、テープが届いた。写真は、誘拐された支店長が虐待を受けているように見え、テープには弱々しい声が吹き込まれていた。

その後、数回脅迫状が届き、同年3月31日の夜にケソン内の教会脇で解放された。解放された被害者に怪我はなく、写真やテープは犯人の偽装であることが解りました。

このことから、この事件は身代金目的の誘拐事件と見られている(NPA中央の声明によると、末端のメンバーが勝手に行ったことで、人質と引き換えに1000万ドルの身代金が支払われたとのこと)。

1991年に逮捕された犯人達は、「日本赤軍の協力があった」旨の供述をしている。(主にフィリピン国外で行われたとみられる身代金の受け取りに協力したと考えられています)。

 

ローマ事件

1987年6月9日。ベネチア・サミット開催中、ローマのアメリカとイギリス大使館にロケット弾が発射された他、カナダ大使館で車が爆破され、「反帝国主義国際旅団」名で声明が出されました。レンタカーから奥平純三の指紋が検出され、イタリア公安当局から奥平純三の犯行と断定されました。

 

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