小暮剛(出張料理人)の経歴や渡航回数や国数は!料理の口コミなど

クレイジージャーニー

2016年5月26日(木)  24時12分~24時57分 TBS系

で放送出張料理人世界を股にかけるオリーブオイルのソムリエ小暮剛さんが

出演します。

小暮剛の経歴

氏名:小暮剛(こぐれつよし)

学歴:明治学院大学経済学部卒業

1984年 辻調理師専門学校卒業渡仏、リヨンを中心に料理の修行に励む

1986年 日比谷『南部亭』を皮切りに青山『キハチ』『セラン』にて修行

1992年 出張料理人として独立する各地のカルチャーセンター、公民館等にて料理教室を開催しは    じめる。

2005年 イタリア・シシリアより、日本人初の「オリーブオイルのソムリエ」の称号を授与される。シリア、ヨルダン他、ニューワールドのオリーブオイル視察を行う。エジプトのホテルにて料理指導をスタートする。秋にイタリア・オリーブ収穫体験ツアーを実施する。

このころより各国に出張料理を本格化し始める。

 

小暮剛の渡航回数や国数

約25年間に、200超の渡航で95か国をまわって料理をしてきました。

今では依頼人の要望に応じて、各国、その土地の食材を使って様々な料理を提供する彼だが、もともとフランス料理のシェフ。

出張料理を続けているうちに、日本人にはクリームやバターをふんだんに使った本場のフランス料理が合わないことを知った彼が、あちこちを探し求めて、オリーブオイルと出会う。

ヘルシーなオリーブオイルが日本人に向いていることを発見しました。

オリーブオイルを究めようとそれから世界中のオリーブの産地という産地を訪れて、オイル作りまでを経験するなど徹底的にオリーブを学び、

料理を通じて広める活動を続けていた結果、 2005年にはその実績からイタリア・シシリアの名門オリーブ園より「オリーブオイルのソムリエ」の名誉称号を与えられました。

それから、川原正孝さんはオリーブオイルソムリエを名乗っています。

 

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小暮剛の料理人になっての苦労

子どもの頃から食べることが大好きで、小学生の頃は給食が一番の楽しみでした。

5年生の時、初めて皆の前で先生に褒められたのです。家庭科の調理実習で作った目玉焼き!
それがすごく嬉しくて、その時に彼は料理人になろうと決めました。褒めることが大事という好例です。

そんな小暮剛ですが、大学を出て、辻調理師学校を出て約2年のフランス修業を経て、いざ料理人の世界に踏み出したのです。

周りの新人とは経歴が全く異なり年齢も上の小暮剛さんイジメの対象にもなり、

なかなか店の人間関係になじむことができずに、不合理な事だらけの辛い日々の連続でした。

男のいじめも陰湿ですよ。

お店を移っても状況が変わらず落ち込んでいた時に、KIHACHIの熊谷喜八さんと出会い、

「俺が直接、教えてやる!」と、喜八さんの直属で修業することに。
喜八さんと出会った事で、料理を通じて多くの人たちを感動させたいという原点にもどることができ、人生が変わったのです。

 

小暮剛なぜ出張料理人の世界に?

1990年、もともと30歳で独立してお店を持つという目標があり実行しようとしましたが、当時はバブルがはじけて銀行にお金を貸してもらえませんでした。
人や場所にコストがかかるのならば店舗を持たず一人でやろうと、苦し紛れに始めたのが出張料理人でした。

店舗を持たないことで逆に小暮剛さんの仕事のバリエーションは広がりました。

外国にまねかれ、食育の講演会にでかけたり

南アフリカのホテルで料理指導をしたり

日本航空(JAL)国際線・海外発全路線の「機内食のメニュー開発&技術指導」を5月のニューヨーク路線からスタートさせたり

本当に幅広く仕事が展開していきました。

 

小暮剛の料理口コミ

小暮剛オフィシャルブログより
こぐれつよし1

ヘルシーな小暮流オリーブオイル料理は有名人の間でも好評です。

 

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