爆報!THE フライデー【野村克也生前最後の映像…死の18日前…号泣再会】
2020年2月21日(金) 19時00分~20時00分 TBS系列で放送
野村克也さん、亡くなる18日前…元スター選手を救っていた https://t.co/XXntCWGyeV #マイナビニュース
— 【公式】爆報!THEフライデー@2/21(金)よる7時~ (@bakuhou_tbs) February 20, 2020
2月11日に亡くなった野村克也の生前最後のテレビ出演!野村克也が亡くなる18日前1月24日に再会して救った人物とは?野村克也監督を心の師と仰ぐ有名選手Sとは
GG佐藤選手2008年北京オリンピック韓国戦で運命のエラー
北京オリンピックでメダルを取れなかった原因となった。
この試合を機にGG佐藤はプロでもいい成績を上げることなく引退していた。
現在は佐藤選手は父の地盤改良会社で勤務中。
GG佐藤は中学校の時野村佐知代の野球チームに所属していた。
野村監督の念ずれば花開くの言葉に励まされたGG佐藤がお礼を言うためドッキリがせっていされたのだ。号泣するGG佐藤氏、会いたかったですと
野村監督が見守る中フライを捕球、まさかの落球3球目でようやく捕球した。
気になりますが、放送後にお知らせします。
野村克也監督といえばたくさんの名言を残しました。その一つ
勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし
選手時代の南海ホークス時代には、戦後初の三冠王に輝いた。
捕手兼監督としても手腕も発揮したが、サッチーとの不倫により南海球団と対立。野村監督は躊躇なくサッチーを選んだ。
野村監督は南海をおわれた。「生涯一捕手」にこだわった野村克也はロッテ、西武と捕手を続け45歳で現役を引退。
評論家時代を経て、1990年からヤクルト監督に就任。それからの9年間が野村克也の真骨頂。評価も非常に上がっていった。1992年と1993年はリーグ連覇をはたす。
1993年はヤクルト球団悲願の日本一に輝く。
「短期決戦には短期決戦の戦い方ちゅうもんがあるんや」ということをしきりにいってうた。ロングスパンのリーグ戦とちがい、7選まででけりをつける日本シリーズでは、投手起用やオーダーなど自然と変わるものである。
このことを肝に銘じ野村ヤクルトはその後1995年、1997年と3度の日本一になった。
球界のお荷物とまで言われたヤクルト球団を常勝球団育てた。
そのヤクルト時代にしばしば語っていた名言。
勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし
意味は負けるときには必ず敗因があり、勝つ時にはなぜ勝てたかがわからないのだが、相手のミスなどによって不思議な勝ち方があるというもの。
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野村語録のなかで最も有名な言葉かもしれない。
元々この言葉は江戸中期の平戸藩主松浦静山が剣術の心得を述べたもの。
野村克也監督は読書家で知られていた。
1980年に45歳で現役を引退し、1990年にヤクルト監督に」なるまでの評論家時代、気の利いたコメントを言いたかったのでしょう。暇があったら本を読むという習慣を身に着けた。このあたりが他の監督からずば抜けたところでしょう。
こうして勉強して野村理論、『野村ノート』になり『ID野球』として確立していく。
全て捕手としての経験や独学、学習からなりたった集大成。
野村克也監督のようにID野球を極めた人物でも、不思議な勝ちはたびたび経験したということですね。
野村克也の経歴
野村克也(のむらかつや)
1935年生まれ、京都府出身
父を戦争で失った幼少時は極貧生活であった。
捕手右投げ右打ち
峰山高校卒業ー南海ーロッテー西武
南海(兼任)、ヤクルト、阪神、楽天監督
リーグ優勝5回、日本一3回
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