小池百合子の希望の党が大敗しました。
結果自民党と公明党の与党が大勝利しました。
結果は下の通りです。
投票率 52・66%→53・68%
議席 公示前 結果 増減
自民 284 → 284 =0
公明 34 → 29 =▲5
希望 57 → 49 =▲8
維新 14 → 10 =▲4
共産 21 → 12 =▲9
立民 15 → 54 =39
社民 2 → 1 =▲1
無所属 45 → 23 =▲22
定員 475(欠3)→465(残2)=▲10
安倍自公連立政権として、単独過半数233、安定多数244、絶対安定多数261、憲法改正発議の3分の2の310を超えて、勝利しました。希望の党が創設される中で、大変な緊張感が走りましたが、一致団結して戦った結果です。
ただし、自民党は議席数自体変わっていないのですが、多くの現職議員が落選しました。
野党は、立憲民主を除いて、議席を減らしています。与党の対抗勢力は希望の党ではなく、立憲民主党になったということで、無党派の票が流れました。
これは分裂した野党VS自民党という対立軸では当たり前の結果です。
野党は全国的に惜敗したと言う結果になります。
こんな中第48回衆議院議員総選挙期間中都知事であるのにも関わらず、キーパーソンの小池百合子の動向に注目が集まりました。
小池百合子は若い頃どういう女性だったのか?現在の評判や性格は?
希望の党はなぜ負けたのでしょう?
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小池百合子の若い頃
小池が留学していた70年代前半、カイロに暮らす日本人留学生は20人にも満たなかった。当時カイロに留学して小池と知り合った女性は、女子大生の小池をこんな風に記憶している。
「お嬢様という感じでした。華奢でほっそりして、色白で綺麗な人。喋り方も上品でした。兵庫出身なのに関西訛りもなく、標準語で話していました」
当時日本から単身エジプトの大学に留学するというのは余程の事情でもない限り、考えにくいことだった。現在のようにインターネットもなければ、国際電話も簡単に利用できるわけではない。当時カイロで暮らした日本人が言うには、「地の果て」でした。そこにあえて目を付けたのは小池百合子の先見の明です。
そもそもなぜカイロ大学だったのか。別の元留学生によれば、「彼女は入学前に『国連の公用語5か国に次いでアラビア語が世界で注目されていたことでアラビア語を勉強すると決めた』と言っていた」そうです。
相当にフロンティア精神があり行動力も並外れた女性で先見の明もあったことが認められます。
NO1よりオンリーワンを目指していたのかなと思われます。翌1973年にアラビア語は国連の公用語に採用されており、小池百合子に先見の明があったことが窺える。
小池百合子の評判性格は
小池百合子の性格をよく知る人たちとして、国会議員の秘書の見方が参考になります。
(50代野党秘書)
20年ほど前、国会議員の小池先生が壇上から話す姿をみてなんてキレイで誠実な人なんだろうと思った。
控室の小池先生にあいさつに行くと脚を組んで座っていた。態度も凄くぞんざいな感じで、ショックを受けたそうです。「裏の面がある人と感じました」
(40代野党秘書)
「秘書にはとても厳しい先生だという印象があります。2009年の総選挙で、小選挙区で負けたのは秘書のせいだと言ってクビにしたと聞いています」
自民党の議員からの評価
「小池百合子はキャスター出身なので切り返しがうまい。そういうところが小泉純一郎や石破茂さんに好かれているようです」
「逆に森喜朗や安倍首相に余計なことをいうと嫌っています」
希望の党が負けた3つの理由
1.小池百合子はオンリーワンが好き
これは百合子ファーストの小池百合子の姿勢によるので。
どう見ても周りと美味くやっていく姿勢が見られない。チームワークを作って行う作業はもともと苦手なのでは無いかなと思われます。
2.排除発言
これは皆さんよくご存知反感を勝ってしまったです。
3.自民党にイジメられなかった
都知事選挙でみせた自民党長老のいじめがなかった。小池さんが大勝したのは年増の厚化粧に見られる失言は幸いしました。
衆議院議員選挙ではイジメられたより、いじめっ子を演じてしまったのです。
これで希望の党は支持を失った大きな理由でしょう!
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