良かれと思って!【世間の声VS前園暴行事件・ミソノ引退詐欺▽Nの30億豪邸】
2017年7月26日(水) 22時00分~22時54分 フジテレビ系列で放送
ドクター中松が出演。
中松 義郎(なかまつ よしろう、通称: ドクター中松、英語表記: Dr. NakaMats 1928年(昭和3年)6月26日 – )は、日本の発明家、実業家である。「ドクター中松創研」代表取締役、日本文化振興会第10代会長、現副総裁、国際発明協会および世界天才会議の主宰者です。
ドクターと名乗っていますが、中松義郎は修士過程終了なので、正確にはドクター中松ではないのです。
ドクター中松の経歴
生年月日: 1928年6月26日(89歳)
生誕:東京府
国籍:日本
別名 :ドクター中松
学歴:東京大学工学部卒業(1953年)
子供 :中松義成(シンガーソングライター)
親 :中松芳野(母親)
業績
受賞歴 イグノーベル賞(栄養学賞)(2005年)
ドクター中松の家
東京都世田谷区下馬6丁目31の10⇦コチラはワンルームで賃貸もされていますね。
通称「ドクター中松ハウス」は、東急東横線学芸大学に近いところにありますが、ドクター中松ハウスから南北にのびる道は、ドクター中松通り(Dr. Nakamats St.)と名づけられ、東西にのびる道路はドクター・中松街(Dr. Nakamats Ave.)と名付けられています。
ある意味日本の有名人としては異質の発明オタク的特質を持っています。
資産価値30億円とも言われています。
30億円の自宅は面積200坪。門はフロッピーディスクの形をしていて、インターフォンは喋る。息子の兄弟はテレビに揃って出るのは初めて。リビングの広さは150帖、ガラス窓36m、1枚ガラスは世界最大だという。トロフィールームにはドクター中松専用の純金トイレがある、1億円。コロシアムという60帖のフリースペースがある。ドクター中松が出かけるときは息子達が敬礼して見送る。家族が束になって一緒に暮らしている。離れている時はパソコン中継で食事に参加。日曜日は必ず家族全員でディナー。ドクター中松は43年間毎食料理を撮り続けている。その間は食事を食べることが出来ない
中松氏が金持ちの理由
調べてみたところ、ドクター中松氏はIBMという会社と特許契約を結んだ際に数十億円もの契約金をもらっていたという話がありました。1979年の2月頃だったそうです。
もう少し詳しく説明しますと、昔IBMがフロッピーディスクを開発をして日本でも売りだそうとした時に、念のために日本で取得されている特許を調べたそうなんです。もし、抵触する特許があれば、後に訴訟に発展してヘタをすれば何千億というお金が取られてしまうことになりますからね。
で、IBMが調べてみた結果、ドクター中松氏がもっていた「積紙式完全自動連奏蓄音器」(←紙に情報を記録したり、読み込んだりする機械)の特許と抵触する可能生があったわけです。そこで、IBMは後に訴訟問題になるリスクを回避するためにドクター中松氏に話を持ちかけて特許契約に至ったようです。
ちなみに、ドクター中松氏がもっていたこの特許は、氏がまだ学生の頃にとっていたものだったそうですよ!なんという棚ぼた!!
ただ本人が言っている、フロッピーを発明したのは自分という話は眉唾。
フロッピーはIBMの発明品です。
ドクター中松氏が自分の箔付けに言ったことが真相です。
ドクター中松氏はこのことがきっかけで知名度がグンとあがりました。いろんなところで「ワタシはフロッピーディスクを開発したのだ」と言ってます。
実際は先ほどのようにIBMの危機管理のために、特許の契約を結んで貰ったのが真相。開発には一切関わっていないそうですが。この件は完全棚ぼたのようです。
その話はさておき、ドクター中松氏は高まった知名度を生かして日本全国で講演会を開いたり、本を出版して印税の収入などがメインでしょう。
また、バカバカしい特許や、昔から使われているような機構だがあえて誰も特許を取ろうとしなかったようなスキマの特許を
次々と登録し、市販されている商品でそれらが使われているモノを探しては使用料をいただく、という儲け方も心得ていてなかなかろうかいです。
中松氏の特許数が多いのは、新しい発明、画期的な発明、というのではなく、そういったものがほとんどです。
何年か前、「がんばれ日本」というフレーズが実は中松氏の商標登録だった、というネタが話題になりましたが、実はこういう特許のとり方は、評判は良くないのです。人々の役に立つことより自らの金儲けのためと言う側面が強いのです。
【後記】
ドクター中松の資産はやはりIBMとの解決金(特許契約金)によるもので築いたのはまちがいないようです。
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