奇跡体験!アンビリバボー【下町の崖っぷち工場に起きた奇跡】
2020年5月7日(木) 19時57分~21時00分
浜野慶一の経歴
1962年、東京都墨田区生まれ、84年東海大学政治経済学部経営学科卒業、同年都内板橋区の精密板金加工メーカーに就職。93年創業者・浜野嘉彦氏の死去後、株式会社浜野製作所の代表取締役に就任し現在に至る。
「おもてなしの心」を経営理念とし、さらに「製造業はサービス業である」をモットーに、レーザー加工・金型・精密板金・プレス加工を手がける、今、中小ものづくり企業で最も 注目されている経営者の一人。
地道な事業の一方で、産学官連携として電気自動車「HOKUSAI」、深海探査艇「江戸っ子一号」、異業種連携としてアウトオブキッザニアによる工作教室、工場巡りツアー・スミファを主催する「配財プロジェクト」など、多数のプロジェクト事業に取り組んでいる。
墨田区「フレッシュゆめ工場」「すみだがげんきになるものづくり企業大賞」などさまざまな賞を受賞。サービス業を追及し、働いているスタッフが誰よりも楽しむことができる、「製造業版ディズニーランド」を目指し日々活動を行っている。
墨田区で金属加工業を手がける浜野製作所。1978年に創業した同社は、金属加工技術に高い評価を得ており、深海用小型フリーフォール型無人探査機「江戸っ子1号」の開発プロジェクトにも参画。
さらに、自社工場内にインキュベーション/コワーキングスペース「ガレージスミダ」を併設。実際に、ガレージスミダで支援を受けたオリィ研究所やチャレナジー、エアロネクストなどのスタートアップは着実に成長を遂げ、その存在感を大きなものとしている。
そんな同社を牽引し、メディアやイベント出演も数多くこなす代表取締役 CEO 浜野慶一氏は、「ガレージスミダ」の設立やスタートアップとの共創を数多く実現。モノづくり系の中小企業や町工場が生き残るための取り組み事例を示してきた。
しかし2代目社長を務める浜野慶一さんが先代から会社を受け継いだとき、社員は自分ひとりだけだった。
当時プレス加工を専門にしながら、顧客のニーズにあわせて板金、機械加工、設計開発などと領域を広げ、徐々に会社を拡大していったそう。
実は20年程前、もらい火による火事で工場と機材を消失し、浜野慶一さんは無一文に近い状態に。建屋も機械も無くなり倒産危機に追い込まれるも、地域の方々に助けられ、火災の6年後には顧客100倍・売上高10倍を実現するまでに復活。以後「お客様、スタッフ、地域」への感謝・還元を経営理念とし、製造業でありながら「おもてなしの心」を大切にしている。
その当時、会社を再建するために格安で購入したのが、浜野社長が愛してやまないプレス加工の機械。
一時期はこの機械だけで生産をしていたそう。現在は、数多くの最新機器を擁しているが、社長が“同志”と呼ぶこの機械だけは捨てられないという。
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浜野慶一の講演会
講演会のテーマはというと
経営理念・産学官連携・ものづくり現場の採用や教育・事業承継などをテーマに、自身の経営経験にもとづき現場目線の講演会を行っています。
創業者の突然の死去に伴う事業承継、社長就任後の工場火災、下請け業の厳しい現実といった困難に直面しながらも、様々なプロジェクトに挑戦し成長してきた町工場・浜野製作所。先代が金属金型工場として創業した同社は現在、設計・開発を行う装置メーカーへとその事業構造を変化させている。その背景には、価値観が多様化する現代において大手が参入しにくい小さい市場を狙うという2代目・浜野慶一氏の戦略がある。
日本の町工場が元気になるためにはどうすればよいのか。「先端都市型ものづくり」として注目される浜野製作所の取り組みと戦略について、経営の現場目線で伝えています。
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