米田勝栄社長(オリエンタルフーズ)の学歴や年商や業態も紹介

カンブリア宮殿【いきなりステーキも参戦!緊急外食SP レジェンドVS猛者】

2020年3月12日(木)  22時00分~23時24分

若手経営者オリエンタルフーズ 米田勝栄代表取締役が出演します。
学歴は桜美林高校卒から専門学校卒

 

米田勝栄の経歴

生年月日 1974年3月23日
プロフィール 東京都日野市生まれ。
5歳から、サッカーをはじめる。

桜美林高校卒。TVドラマの「HOTEL」に影響され、専門学校を経て、都ホテルで勤務。

バーテンダーの全国大会に出場し、銅メダルを獲得。オーストラリアで1年、ワーキングホリディで過ごしたほか、様々な仕事にトライし、キャリアを積む。

縁あって「東洋大学」の学生食堂内の店舗を経営。現在、大学内に3店舗、それ以外で2店舗の飲食店を経営する。

主な業態 「ワイン酒場 東京食堂」「東京チキン」「東京食堂」「鉄鍋屋」「窯焼きKITCHEN」 

父親は、ゴルフ関連の商社に勤め、のちに起業。兄は地元で飲食店を経営。兄弟は3人で、兄、姉、米田氏という順番。「末っ子だから甘やかされた」らしい。
兄が飲食業をいとなんでいたため飲食業は身近な存在だった。

専門学校を出て都ホテルに就職、米田社長はそのころ、ホテルにバーがあることを知らなかった。都ホテルの配属は希望制ではなかった。だから、バーに配属されるように、いろんな手を駆使したそうである。手に職をつけたかったから。

都ホテルのバーは、都内でも5本の指に入るといわれていました。にもかかわらず教育方針は、ほかのバーとは異なり、若い頃からカウンターに入れて、やらせるというスタイルで進められた。スパルタの現場主義。

そのおかげか、1年未満のキャリアでバーテンダーの全国大会にも出場し、銅メダルを獲得した。

しかも、応募総数全国2000名。ふつうなら1年目の新入りに用事はない。

どうしても海外で生活経験をしたくて、それで、『都ホテル』退社。

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「それから、オーストラリアに渡りました。ええ、ワーキングホリディです。もともと、私は桜美林高校なんですが、その学校に進んだのも、英語が好きだったからなんです。いつか、英語が公用語の世界で生活したいと思っていたもんですから、この時、思い切って」。
思い切りすぎて、所持品はトランク一つ。知り合いもおらず、準備もないまま、オーストラリアに飛び立った。

 

オーストラリアから帰国後、師匠とも慕う恩人から、声をかけてもらい、ふたたび学食で勝負することになる。今度は、委託ではなく正真正銘、じぶんの店。学生たちの胃袋は、オレに任せろ。経営者、米田氏の誕生である。
「バーでもちょっとは料理もしていましたが、本格的に習ったこともない。実は、店を始めることになって、コックもいないもんだから、後輩(現在のマネージャー)にハヤシライスの作り方を教えてもらう、そんなところからのスタートだったんです(笑)」。
料理はできなかったが、アイデアでは負けない。米モノがいいのは実証済み。ハヤシライスに、オムライス。店名は、「東京食堂 Oriental Kitchen」。

売上高 103億3,500万円 ※2018年8月決算

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