爆報!THE フライデー【因縁・再会・謎の晩年…緊急2時間SP】
2017年9月22日(金) 19時00分~20時57分
元笑点メンバーが妻や子供に逃げられ生活保護を受けていた!
彼の名前は桂文字助さんという落語家。いまは廃業して生活保護を受けているという触れ込みですが・・・
あまり悲壮感を感じないと言うか?
桂文字助さんは立川談志さんに師事していた時期もあります。
4代目桂 文字助(かつら もじすけ、1946年2月13日 – )は、東京都江東区出身の落語家。落語立川流に所属していたが、2015年に脱退。本名、松田 治彦(まつだ はるひこ)。
神奈川県立神奈川工業高等学校卒業。出囃子は『外記猿』。
「落語立川流きっての武闘派」「相撲噺のスペシャリストと評されます。
故立川談志さんとのエピソードは枚挙にいとまがないのです。
昔の落語家ですね。エピソードが。
立川談志の一目おいていたのかもしれません。
この桂文字助師匠は立川談志が好きそうなタイプです!
桂文字助のプロフィール
本名 | 松田 治彦 |
---|---|
生年月日 | 1946年2月13日(71歳) |
出身地 | 東京都江東区 |
師匠 | 6代目三升家小勝(1964年 – 1971年) 7代目立川談志(1971年 – ) |
名跡 | 1. 三升家勝松(1964年 – 1971年) 2. 立川談平(1971年 – 1980年) 3. 4代目桂文字助(1980年 – ) |
出囃子 | 外記猿 |
活動期間 | 1964年 – |
活動内容 | 古典落語 |
所属 | 落語協会(1964年 – 1983年) 落語立川流(1983年 – 2015年) 文字助組(2015年 – ) |
7代目立川談志の総領弟子であるが、師匠・6代目三升家小勝死去による移籍(1971年)のため、最初に談志に入門したのではない。そのため、実質的な談志一門の総領弟子は最初に談志に入門した10代目土橋亭里う馬であり、談志没後の落語立川流代表には里う馬が就任しています。
相撲噺を演じることが多い。
これは本人の談によれば、かつて文字助が師匠・談志の相撲噺におかしな部分があったため意見した際、談志から「それならオレは今後相撲の噺はしない。その代わり、お前は明日から相撲の噺だけをしろ」と命じられたためとのこと。
文字助は実際に相撲部屋へ稽古を見に周るほどの相撲研究家であり、歴代横綱を言い立てる芸も持っています。本当に相撲がすきなんでしょうね。
桂文字助と立川談志エピソード
立川談四楼さんのツイッターより
なかなか態度がでかいです。文字助師匠
文字助を海外公演に連れてったら、ヤロー、オレの荷物を持たねんだ。もう二度と連れてかねえ。談志がそう愚痴ったので、当の文字助に確認した。おう、何でも持たせようとするんで、言ってやったんだ。師匠、あっしの手は二本きゃねえんだって。そしたら師匠、自分で荷物持ってたよ。やればできるんだ。
— 立川談四楼 (@Dgoutokuji) 2013年7月15日
その海外公演で案の定、文字助は談志のトランクを一つ無くした。激怒し、弁償を迫る談志に、どこをどうしたものか文字助、三倍の賠償金を保険会社からふんだくり、談志に差し出した。途端にでかした、偉えと喜んだ談志、猫なで声で、また海外に連れてってやろうか。文字助答えて曰く、またにしましょ。
— 立川談四楼 (@Dgoutokuji) 2013年7月15日
振り回され、手を焼かされ続けた文字助。晩年の談志は必ずこう言った。文字助、おまえ、まだ生きてるのかと。文字助はいささかも怯まない。カンラカラカラと笑い、家元、そういうことを言っちゃあいけません。こういうことは歳の順です。だから家元、安心してお逝きなさい。あの時の談志の無念の表情。
— 立川談四楼 (@Dgoutokuji) 2013年7月16日
結婚式の司会が非常にうまかったらしい!!
私は、婚礼の司会のイロハを文字助から学んだ。乾杯まではアナウンサーの如く、祝宴に入れば落語家に徹して務め、花束贈呈両家代表謝辞でアナウンサーに戻るという手法であった。途中あえて時間を作り、小咄をやり、祝儀をせしめる技をも学んだ。文字助はそれを懐に街に出て、豪快かつ陽気に散財した。
— 立川談四楼 (@Dgoutokuji) 2013年7月17日
【まとめ後記】
立川談四楼さんのツイートをみても、桂文字助さん本当に面白い人です。
魅力があります。談志師匠に可愛がられたというのもわかる気がします。
番組予告では少しやさぐれた様子が写っていますが、テレビで活躍してほしいが・・・
奥さん子供は結婚7年で借金をして飲み歩いてる文字助に愛想を尽かしてでていった。
酒を飲みすぎて異常酩酊という病気なのです。
テレビの枠には収まらない芸人さんなのかもしれませんね。残念!