1998年7月4日に埼玉県宮代朝で富士銀行行員が顧客である老夫婦2人を殺害するという事件が発生した。
犯人は、富士銀行春日部支店勤務 岡藤輝光(31)
岡藤輝光の顧客であったマッサージ業を営む老夫婦 福田次郎さん(74)と妻・福田ツネさん(67)・・当事の年齢
お客を手をかけてしまった最低の行員に成り下がった岡藤輝光。
当事二人とも体に障害を抱えており抵抗できる体ではなかった。
そこを狙ったともとれるような残虐非道なこの「富士銀行行員顧客殺人事件」の真相、そして岡藤輝光とはどのような人間なのか。人物像に迫りたい。
富士銀行行員顧客殺人事件(あらまし)
岡藤輝光はなぜ顧客である老夫婦をターゲットにしたのか。
そのきっかけは、一年前の1997年に春日部市内にある運送業者から融資について懇願をされていたのが原因。
その運送業者は富士銀行の融資基準を満たしていなかった。
しかし岡藤輝光は顧客の預金を不正に運送業者に融資していたのだ。
これは岡藤輝光の実家父親が運送業を営んでいたことに大いに関係があるかもしれない。
岡藤は運送業で苦労している父をみていたので、恐らくこの運送業を営む顧客にシンパシーを感じていたのだ。
その顧客の向こうに自分の父を見ていたのかも知れない。
実際に1998年1月には福田次郎さん、ツネさんの定期預金を解約させて、その預金を運送業者に流用していた。
老夫婦はいつも顔を見せてくれるXを懇意にしたため、定期預金の運用をXに預けた。 Xはそのお金で別の運送業者へ融資するという不正な「浮貸し」を行ったが、2500万円の債務を負ってしまう。
これが事件の引き金となる。
問題はすぐに発生した。
運送業者の返済のメドが立たないのだ。
2500万円が焦げ付いてしまった。
そのままにしておくと福田次郎さん、ツネさんの資金返済が延滞となることを恐れた岡藤輝光は焦った。
福田次郎さん、ツネさんから返済を迫られた岡藤輝光は、殺害の2日前、7月2日に「必ず持参します」と書いた自分の名刺を渡した。
しかし、そんな大金は岡藤輝光に返済のあてはなかった。
さらに岡藤輝光はこの名刺を置いてきた前日に人事異動の内示を受け、顧客の引き継ぎなどもしなければいけなかった。
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このままでは全てバレてしまえば逮捕され、大事になってしまう。
この時、追い詰められた岡藤輝光には「福田次郎さん、ツネさんの殺害」以外選択肢が思い浮かばなかった。
福田次郎さん、ツネさんに返済の約束を7月2日、午前11時30分。
岡藤輝光は福田次郎さん宅に侵入。
まず、1階のリビングいたツネさんを背後から首を締め上げ殺害。
次に隣の居間にいた福田次郎さんの首を締めあげて殺害した。
その後、手渡した名刺を持って逃走。
事件が発覚したのはそれから2日後の7月4日。
その後、事件から4日が過ぎた1998年7月6日、富士銀行春日部支店に勤務 岡藤輝光(31)は強盗殺人で逮捕された。
岡藤輝光の人物像
岡藤輝光は福岡県出身の3人兄弟の長男。
岡藤輝光の父親は中卒ながらトラックの運転手をして岡藤輝光を大学まで通わた。
本当に自分には学がないので子供にはぜひとも大学に進学させたかったのだ。
岡藤輝光は両親の期待に応えるべく、学業やスポーツにも精を出し、高校は進学校の県立筑紫高校、そして部活動はラグビー部に在籍。
高校二年生の時には、県大会で優勝するという、輝かしい記録も持っている。
大学は、ラグビー枠で福岡大学に進学。
スポーツ万能であった岡藤輝光は3年からレギュラー。
そして、卒業後に富士銀行に就職。
通常大手都銀のエリートコースに乗るには一流大学を出ている必要があった。
大手銀行銀行員として超エリートとは言えないが、文句を言わなければそこそこの生活は出来たはず。
これまで順風満帆であった岡藤輝光の人生は家族にとっても誇りであるのは本人も気がついていた。
この家族の期待を裏切りたくはなかったと公判のべています。
平成11年9月29日、無期懲役の判決。
平成12年12月20日、東京高裁も無期懲役を支持した。
平成13年1月5日、上告しなかったため、岡藤輝光は無期懲役刑が確定した。
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