爆報THEフライデー
爆報!THE フライデー【実録ミステリー&あの美女は今大追跡SP!】
2017年8月18日(金) 19時00分~19時56分
女子銀行員Xとは奥村彰子です。
奥村彰子が起こした滋賀銀行横領事件です。
当時衝撃的であった、女子行員がそんなに大胆な横領が可能なのか!?
テレビ朝日系で、武井咲さん(過去には山本陽子さんや米倉涼子さんでもドラマ化している人気作品です。
武井咲主演で新たにテレビドラマ化された松本清張原作の小説「黒革の手帖」のモデルになった事件といわれています。
さて犯人の奥村綾子の今現在や事件のあらまし、影で操ったヒモ男山県元次とはどんな人物だったのか?
やはり奥村彰子は完全にだめんずではと言えます。
奥村彰子(当時42歳)が横領の容疑で逮捕されました。
奥村は同年2月までの6年間で、およそ1300回にわたって史上空前の9億円の金を着服、ほとんどを10歳年下の元タクシー運転手・山県元次(当時32歳)に貢いでいた。
1976年6月29日、奥村に懲役8年、山県に懲役10年の判決が言い渡されました。
また銀行への賠償として、奥村は1000万円、山県は3000万円を支払うこととなりました。
奥村彰子の今現在
今生きていれば奥村綾子は76歳。良いおばあちゃんになっているはず。
奥村彰子は和歌山女子刑務所に服役していたが、入所時からすでに有名人で、好奇の目で見られたりしました。
所内ではおとなしく、おどおどした雰囲気で、いじめられるようなこともあったといいます。
犯罪者といえどもプライバシーは守られるべきです。
刑期を終え出所後は逮捕前に交際していた人が8年間(刑期を終えるまで)待っていてくれた、という説もあるようです。
これが本当なら、犯罪を悔いて真面目な人生を送っていることを祈ります。
奥村彰子のプロフィール
奥村綾子は1930年12月に大阪府北河内郡で生まれました。
3人姉妹の末っ子です。
一家はその後、京都市左京区に移り、奥村は48年3月に市立堀川高女を卒業しました。
この頃、学制改革があり、奥村は高等学校3年に編入したが、7月で退学しています。
これは、父親が愛人をつくって家を出ていったことで男性不信になった母親が男女共学に反対したから。
奥村綾子の母は男性に強い憎しみを持っていたのです。
そしてその年の12月、奥村は滋賀銀行京都支店に入行した。「男の人には負けたくない」と熱心に仕事にとりくんだといいます。
一方、恋愛の方はと言うと、男性嫌いの母親のこともあってか、縁談などもなかなかまとまらなかった。
これは奥村の実家の状況や母の悪影響が色濃くでています。
滋賀銀行9億円横領事件
1965年春、滋賀銀行北野支店で勤務していた奥村は35歳になっていたが、この頃山県元治(当時25歳)と出会っています。
当時、奥村は付き合っていた男性とケンカをして沈んでおり、職場の懇談会のあとタクシーで拾ったのだが、酔っていたこともあって涙を流しました。
この時、「どうされたのですか」と優しく尋ねてきたこの若い運転手が山県だったのである。2人は話しこみ、奥村の方から「酔って帰ったら母がうるさいからドライブしよう」と誘いました。
30分ほど京都市内を走ったところで奥村はタクシーを降りたが、別れ際に「××銀行の奥村彰子です」と嘘の銀行の名を言って去りました。
優しく語りかけてくれる山県は魅力的にうつり、「また会いたい」と思ったが、自分に自信がないことからの嘘だったのでしょう。もしくは、この頃は銀行員の慎重さを持ち合わせていたかもしれません。
でも奥村綾子は典型的なだめんずうぉーかーですね。
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山県元次との出会い
奥村彰子はこの後、山科支店へ転勤となる。職務は普通預金係。
66年春、奥村は帰宅途中のバスのなかで、突然「あの時の彰子さんではないですか」と山県に声をかけられました。
奥村はすっかり彼のことを忘れていたが、声の調子で思い出したといいます。
山県は琵琶湖競艇の帰りで、負けてきたとのことだった。山県は奥村をお茶に誘い、京阪三条南口の喫茶店で話しこみました。
山県元次の話によると、小遣いがたくさんあるのでギャンブルで負けても平気とのことで、兄は下関で大きな商売をやっているということでした。
山県の話は景気がよくておもしろく、奥村は夢中になりつつあった。定期預金の大募集期間だったこともあって、奥村は「私の銀行に貯金をして欲しい」と頼みました。
奥村彰子はこの日以後、数回山県に電話をしてみたが、その都度断られることに。
山県にしてみれば、「年上の、あんなきれいな人が電話をくれるなんて、きっとからかわれているだけだ」と思っていたのだが、そうした態度に奥村はさらに積極的になっていくのです。
固いだけの同僚とは全然違う。2人は数回の食事を経て付き合うようになった。ここがだめんずのだめんずたるゆえんです。
当初は5000円、1万円ほど貸していた。その金がたとえ返ってこなくても、奥村はよかったのです。
しかし、要求は何度も続き、ついには自分や家族の貯金を切り崩すほどになっていました。
山県はその金で中古のコロナを購入している。奥村はそんな山県に対して愛想を尽かすということはなかった。奥村にとって山県はもはや「最後のチャンス」と言ってもいい男でした。
そして、この年下の男をつなぎとめておくだけの金が必要でした。
奥村彰子銀行の金に手を付ける
秋頃、奥村は普通預金係から定期・通知預金係に異動となります。
この頃、奥村はバス会社を定年退職したKさんという男性と知り合う。
Kさんは奥村に露骨に好意を示しており、奥村が預金勧誘用のパンフレットを見せると、Kさんは早速定期預金の100万円の小切手を届けてきた。奥村が定期の証書と印鑑を渡そうとしたが、Kさんは受け取らず預けたままとしました。
そんな話を奥村がデート中に山県に言うと、山県は「100万か。その金なんとかならんか。穴埋めは必ずする。アッちゃん頼むよ」と食いついてきた。奥村はこの時ばかりは「人のお金に手をつけることはできん」ときっぱり断った。
翌67年5月、奥村、Kさんと肉体関係を持つ。定期を途中解約されては困るという理由からである。山県はそのことを聞かされて、ムッとしたが「やめろ」とは言わなかった。結局、Kさんは計1240万円の金を奥村に預け、それらはすべて山県へと流れることになった。
仕事始めの日、山県は銀行に電話をかけてきて20万円を要求。この頃にはすでにKさんのお金も底をついており、要求分を捻出するところなどどこにもなかった。
困り果てた奥村は銀行の金に手をつけようかと迷い始める。そんな時、自分の預かっていた定期預金元票から20万円1年定期を見つけ、ついに預金証書を偽造した。あとは支店長とその代理の職印が必要だったが、油紙を使って転写、20万円をだましとった。
1度タブーを犯すと罪の意識も薄れたのか、奥村は犯行を重ねた。その手口も次第に大胆になっていく。定期の中途解約では追いつかなくなり、架空名義を作り上げて100万単位で引き出し始めた。
1972年10月には定期・通知預金事務決済者を任されるが、このことも拍車をかけることとなった。
1973年2月1日、山科支店から東山支店に移ることになった。
「ついにバレる」
当時、下関の山県は奥村の男友達としてマスコミから注目を浴びていた。定職もないのに、外車、モーターボートを数台づつ持ち、さらには豪邸に住み、ギャンブル遊びでは1000万円すった翌日、再び1000万をつぎこんだりしていた。おまけに山県の兄や母親たちも突然羽振りが良くなっており、どう考えてもおかしかったのです。
10月15日、山県元次はついにぞう物収受容疑で逮捕される。あっさりと奥村の所在も供述。
10月21日、滋賀県警は偽名を使って大阪のアパートに潜伏していた奥村を逮捕。指名手配写真は薄化粧の地味な雰囲気の女性だったのだが、この時の奥村は派手な洋服と厚化粧で別人に見えたといいます。
【まとめ後記】
奥村彰子は母の影響を色濃く受けた人物。
それが不幸と言わざるをえません。
もし、奥村彰子の父が女を作って家を出なければ・・・
この横領事件は起こっていなかったかもしれません。
銀行行員の巨額横領事件には不思議な共通点があります。
- 犯人は美人
- 仕事はよくできる
- これが最期の恋愛という思い詰めた考え
- 銀行のずさんな管理
こんな不幸な女性もいた。↓
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