中居正広のスポーツ!号外スクープ狙います! 2時間SP
2017年8月14日(月) 19時00分~20時54分 テレビ朝日系列
皆さんは覚えているでしょうか?
谷口功一巨人の元ドラ一。
1990年天理高校2年の第72回全国高等学校野球選手権大会で天理高校を優勝に導く。
1991年のドラフトで巨人に1位指名されれ入団しました。
2年めの2軍戦で右肩を故障してしまったのです。
191cmの高身長で150kmの球速をほこり、阪神タイガース藤浪投手ににたタイプでした。
谷口功一本人によると、低めの球は自分のほうが威力があったと。
そんな谷口功一が何故プロの世界で活躍できなかったのか。
2年めの2軍戦で肩を故障。これが原因で3年間日常生活もままならないような日々を過ごすこととなり復帰後にはかつて150km/h出た球速も130km/hまで落ちることとなります。
6年目のシーズンオフに巨人を解雇され西武に移籍するも結果を残せず再び解雇される。翌年テスト入団で横浜のテストに落ちるも近鉄のテストに合格。
1999年限りで近鉄を退団した後はアメリカに渡り、テキサス・レンジャーズにマイナー契約で入団するもメディカルチェックに引っかかり契約を解除される。
通算8年間で、巨人、西武、近鉄と3球団を渡り歩いたが、一軍では1勝も挙げることができなかったのだ。
肩の故障により野球人生を棒に振ることとなりました。
引退の原因はプロに入ってからすぐに肩を痛めて、それからはずっと故障との闘いでだましだましで投げ続けてきたけど、もう肩や肘の状態が限界だと思ったことによります。
140kmとか145kmとか投げれてても、自分の思い描いてる球筋じゃなくなってきたんだよね。
コンスタントに理想の球筋も投げられないし、投げた翌日の痛みの具合とかを考えて限界だと思ってしまったかな。
谷口功一のプロフィール
国籍 : 日本
出身地 :大阪府四條畷市
生年月日 :1973年5月4日(44歳)
身長体重 :191 cm98 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 投手
プロ入り 1991年 読売巨人軍ドラフト1位
初出場 :1993年5月9日
最終出場 :1999年9月24日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
天理高等学校
読売ジャイアンツ (1992 – 1997)
西武ライオンズ (1998)
大阪近鉄バファローズ (1999)
ニューアーク・ベアーズ (2000)
アトランティックシティ・サーフ (2001)
ジャクソン・セネターズ (2002)
コーチ歴
長崎セインツ (2009 – 2010)
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谷口功一の今現在
テレビのドキュメント元ドラ一への取材などに時たま出演したり、居酒屋の経営をしています。
店名:直球酒場「豪腕」
巨人のドラ1として活躍を期待された投手。店内には野球グッズもたくさんあり、飲食以外の要素でも野球ファンは楽しめます。
■営業時間:[月・水・木・日・祝] 17:00~24:00 [金・土・祝前日] 17:00~26:00
■定休日:火曜日
■最寄り駅と所要時間:JR住道駅から徒歩2分
■特徴:新鮮な魚介類と美味しいハイボールが用意されています。
■メニュー:海鮮丼、徳島ラーメン
【後記】
谷口功一は述べる。
「やっぱり野球しかしてこなかったから知らない事だらけだな~って感じるのは頻繁にあるね。こうやってお店を運営してても物の仕入があったり原価の計算をしたり、他にもスタッフの配置やフォローをしたり、お客さんへの接客をしたりとか、全ての事が初めての経験で勉強になる事ばかりだよ。 何でも経験が財産になると思ってるから意欲的に取り組んでるつもりだけどね。
反対は、俺の事を知ってくれてる人もいれば、俺の事を知らない人ももちろんいるし、でも今こうやってる俺に対して嬉しい言葉を掛けてくれたり励みにさせてもらえるような事もあるし、引退してもいろんな人達に応援してもらえてる事が嬉しいね。」
谷口功一によると「期待度の高さは、ドラフトで1位指名された時よりも、入団してから、よりヒシヒシと感じるようになりました。与えられるチャンスの数も、他の同期と比べて格段に多かった」
故障したのもその周りの期待の裏返しと言えなくもない。
ヤクルトの元スカウト部長・片岡宏雄氏によると、長年のスカウト生活で、一つだけ理解したことがあるといいます。
「ドラフト1位というのは、才能があるはずの選手。でも、花ひらくかどうかまでは、30年スカウトやっても見抜けなかった。とどのつまり、活躍するなんて絶対の確証は、持てないんです」
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