実録!マサカの衝撃事件 秋田連続児童殺害事件の被害者の父
米山勝弘さんは当時どういう気持でこの本をかいたのか?
第一の事件は2006年(平成18年)4月10日
第二の事件は5月18日午後に容疑者の2軒隣の男児を死体で発見
一件目の事件は秋田県警能代署が事故死とみなしていたため、捜査が行われなかったのです。
コレが第二の事件を引き起こした、と見ることが出来ます。
第一の事件でもう少し慎重な操作が行われていれば、自体は全く変わっていたといえます。
当時の朝日新聞の記事
『…畠山鈴香容疑者が「落とした」と供述したことで、捜査本部内からも「きちんと捜査していれば、豪憲君事件は起きなかったかもしれない」という声が出ている。…捜査関係者の間には今、「事故とした判断は早かったのでは」「母親の畠山容疑者を調べておけば、豪憲君事件は防げたかもしれない」という声が出ている。また「捜査批判が出ても甘んじて受ける覚悟で、彩香さんの件をきちんと捜査しなければいけない」とする捜査関係者もいる。』
まさしくこの通りで畠山鈴香の娘が地元有力者の娘であったなら捜査の方向も異なっていたかもしれない。やはりずさんな漢字がしてならない。
畠山鈴香が生活保護受給者だったから?
米山勝弘さんが「豪憲はなぜ殺されたのか」を書いたのか
第三者の管理人が推測するのですが、やはり警察の捜査に対して不満が合ったことがあげられます。
この本は、殺された豪憲くんの父親が書いたもの。
表紙には、鈴香の娘である彩香ちゃんも一緒の豪憲くんの写真が載っています。
普段からの鈴香の奇異な言動や事件時の様子、孤独な子供時代にも触れている。
それから、手薄な警察な捜査については悔やんでもくやみきれないこと。
この父親が自分の足で聞き込みをして分かった重要な証言などが、どうして警察には拾えなかったのか。
米山勝弘さんはその警察捜査のずさんだったことに対する悔しさ、米山豪憲君の思い出などを残し、事件と一つのけじめをつけたかったのでは思います。
事件被害者は亡くなったわが子のことを1日でも忘れることはないでしょう。
また悲しみが言えることはないでしょう?
ましてや畠山鈴香受刑者が豪憲君を何故殺したのか今となってもハッキリわからないことなどを考えても非常に残酷です。
一説によれば、畠山鈴香受刑者が自分の娘をあやめた自分に一向に疑いを持たないことに焦りを持っていたという情報もあります。自分自身の生活を終わりにしたく畠山鈴香は逮捕されたがっていたと言う説もあります。
そうなれば米山豪憲君の死は何だったのかということになります。
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