12月10日のザ・ノンフィクション
放送はシリーズで11年間撮り続けてきた
秘蔵映像も含め、主人公である多田弥生さんは40歳
千葉から嫁入りし、女将として成長する過程を描きながら、
それを支えた夫、多田健太郎さんの姿を描きます。
それは、何も旅館敬遠経営のことを知らなかった若旦那が、
和倉温泉を代表する老舗旅館の社長へと
成長してく姿でもありました。
「きっといい社長になる」と信じ抜いた妻は、
自分の看護師の仕事をやめ老舗旅館に嫁ぎました。
その期待に応えようと懸命に苦難を乗り越えてきた夫と
の深い夫婦愛の物語です。
4月9日(日)ザ・ノンフィクション 私、
ツヨくなりました ~その後の花嫁のれん物語~
放送時間14:00~14:55 フジテレビローカル
能登の老舗旅館多田屋女将多田弥生さんが主人公。
夫は能登和倉温泉老舗高級旅館6代目の多田健太郎さんです。
タイトルにもありますように多田弥生さんの放送は
5回めの放送になります。
といっても再放送ではなく、前回以降の多田弥生さん
を追いかけたものです。
初回のおさらいをします。初回は2007年6月のフジテレビ
ザ・ノンフィクションで放送されました。
タイトルは「花嫁のれん物語~地震に負けるな能登半島~」
結婚後の多田弥生さんの奮闘と中越地震の後の、混乱も描いています。
全体的に結婚直後の応援モードの放送になっています。
石川県七尾市の創業明治18年の老舗旅館多田屋では、
多田屋の跡取り息子 6代目多田健太郎さんに嫁いだ多田弥生さんも、
若女将として現在も働いています。
旅館の経営を任されていた健太郎さんは、
新しい旅館にしていくためにスタッフの若返りと
集客方法の見直しを模索していました。
健太郎さんの集客方法は、個人客の口コミによる
リピーターと新規顧客の獲得でしたが、
前社長の集客方法は、健太郎さんと違い、
旅行会社に売り込んで団体客を獲得するという
STDな方法でしたので時折、
意見の衝突もありました。
社内分裂は激化し、健太郎さんの意向に
従わない社員はリストラせれていきます。
今の体質を変えることが集客を大きく延ばすと構想していたのです。
リストラが進むと、多田屋内で人材不足が起こり始めていました。
ほころびは大きくなるばかり。厨房の方でも問題が起こります。
新たな料理長として老舗料亭の「つば甚」で
働いていた酒井誠史料理長は
健太郎さんから腕を見込まれ多田屋の料理長となりました。
しかし、ここにも新たな問題が勃発。
副料理長がいないなど、料理人の人手不足に苦しんでいました。
社内分裂と人手不足により、多田屋でトラブルが続出しました。
2012年10月、多田屋で地元カップルの結婚式が行われた最中、
ケーキが足りなくなるというありえないトラブルが発生!
こういう時こそ、親子揃って危機に立ち向かうときであると知った、
多田弥生さんは、一計を案じます。彼女なりの心遣いです。
健太郎さんが地元ラジオで父親のことを話した録音を父に手渡しました。
健太郎さんが社長であり父から言われて最も心に
残った言葉が語られていたのです。
さて父の様子は?
なお「※花嫁のれん」とありますが、多田屋が人気ドラマの
舞台になったとか、多田弥生さんが、羽田美智子のモデルだとか
言うことは一切ありません。
※テレビドラマ花嫁のれんシリーズ
(はなよめのれん)とは、東海テレビ放送の制作により、
フジテレビ系列で2010年から断続的に放送されている、昼の帯ドラマ。
フジテレビ系列で1971年4月1日から同年9月30日まで放送された
木曜21時枠のドラマとは直接の関連はありません。
第1シリーズは2010年11月1日 – 12月29日に、
第2シリーズは2011年10月31日 – 12月29日に、
第3シリーズは2014年1月6日 – 3月28日に、第4シリーズは
2015年1月5日から3月27日にそれぞれ放送された。
主演はご存知羽田美智子と故野際陽子
たまたまドラマの設定と多田弥生の境遇が似ていただけですね。
実際多田弥生は凄く美しいので、羽田美智子さんと妙に被っちゃいます。
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『※花嫁のれん』(はなよめのれん)とは、東海テレビ放送の制作により、フジテレビ系列で2010年から断続的に放送されている、昼の帯ドラマ。
第1シリーズは2010年11月1日 – 12月29日に、第2シリーズは2011年10月31日 – 12月29日に、第3シリーズは2014年1月6日 – 3月28日に、第4シリーズは2015年1月5日から3月27日にそれぞれ放送された。
多田弥生(多田屋おかみ)のプロフィール
年齢:40歳
出身地:千葉県
前職:看護師
多田弥生と多田健太郎(ただ・けんたろう)との馴れ初め
ご両人の馴れ初めやエピソード
旦那の多田健太郎さん(多田屋6代目)は「大学進学をきっかけに東京に出たんですが、卒業後もアメリカに2年留学したり、東京でITベンチャーに就職したりと、すぐには能登には戻ってきませんでした。
支配人が辞めることをきっかけに、旅館に戻ってきたのが29歳になったときです。
多田健太郎が会社に戻ってきたときは、親の世代のスタッフばっかりでした。
自分が旅館の仕事を覚え、若い子が入って根付いてくような風土にしていくのに5年をようしました。
奥さんの多田弥生さんは元看護士。
結婚するまで、健太郎さんが旅館をやっていることを全く知らなかったそうです。
多田弥生さんが大学のときに知り合った。
多田健太郎さんからは小さな民宿をやっていると聞いていたのです。
親が転勤族だったこともあって、結婚して能登に
来ることに抵抗はなかったんですが、看護師を
こちらでも続けようと思っていました。
看護婦と旅館女将はかなりかけ離れた職業です。
なんせ小さな民宿という説明だったので。これは夫の気遣いだったのかも。
実家が老舗高級旅館といったら弥生さんが引いてしまうから。
完璧なウソを言ったのです。
管理人は結婚時にこんなウソは付きませんでしたし
そんな家柄でもないので嘘をつく必要がなかったのです。
多田健太郎さんは大博打を打ったのですね。
彼女の弥生さんがきいてないよーって怒ったらそれまでです。
多田弥生さんが多田屋に来てみたら大きな旅館でびっくり。
ここで若女将になることになって。想像もしていなかったそうです。
女将としての仕事はマニュアル化されていない
「女将から一通りのことは見せてもらいましたけど、
マニュアルがあるわけじゃないから、
最初はわからないことだらけでしたよ。『自分たちで工夫して、あなたたちの多田屋をつくっていってね』
という感じだったので、夫ともども苦労しました」
女将の気遣いなんてものは、お客に併せて10人十色ということ。
これは絶対マニュアル化出来ないし、またしてはイケないものです。
多田弥生さんが女将として目指す接客は?
能登の和倉温泉にはほかにも旅館がたくさんあります。
多田屋がつくろうとしているのは、アットホームなおもてなし。
高級旅館ではあるが、アットホームなおもてなしを目指しているのです。