田根剛はなぜ建築家に?家族や経歴やエストニア国立博物館との関係

NHK Eテレ 22:00 SWITCHインタビュー 達人達(たち)「杉本博司×田根剛」 

の対談です。

田根剛さんはもとジェフユナイテッドのユースチームに所属し、将来を嘱望されたサッカー選手でした。、高校在学中にジェフユナイテッド市原のユースチームで頭角を現したが、怪我によりプロサッカー選手の夢を断念。チームメイトには、山口智、酒井友之、阿部勇樹、佐藤寿人などがいた。

このチームメイトを見ればいかに田根剛さんが、プロに近かったかがわかるでしょう。しかし怪我でサッカーを諦めたことにより、田根剛は建築を目指すことに。

そうこれはもうはっきりしていますが、田根剛が怪我をせずに順調にサッカーを続けていれば、建築家田根剛は生まれなかったといえますね。

建築家になったワケ

建築家になったのは明らかにサッカー人生を怪我で絶たれたからということができます。

また一説には、建築家がかっこよく見えたからともいわれています。

 

その後サッカーを諦め、北海道の大自然に憧れ北海道東海大学芸術工学部建築学科に進学。

在学中にスウェーデンのHDKとシャルマス工科大学へ留学。大学卒業後はデンマークへ 渡り、デンマーク王立アカデミーにて客員研究員となる。

その後、ヘニング・ラーセン(デンマーク)、デビッド・アジャイエ(イギリス)の設計事務所に勤 務。海外に拠点を移します。

 

2006年、パリを拠点にDGT.(DORELL.GHOTMEH.TANE / ARCHITECTS)をダン・ドレル(イタリア)、リナ・ゴットメ(レバノン)のパートナーと共に設立。

 

26歳で受賞した国際コンペ「エストニア国立博 物館」で最優秀賞授賞し、国際的な注目を浴びます。

2008年には、イギリス・ICON MAGAZINE誌より「世界の最も影響力ある若手建築家20人」に選出されました。

 

田根剛の家族

これは情報がないのです。もう明らかにいま売り出し中の建築家、持てないワケありません。

が情報がない。これは独身なのでしょう。

でも極秘で結婚していてもおかしくはないでしょう。

 

田根剛の略歴

1979年 東京都杉並区に生まれる

1998年 北海道東海大学 芸術工学部 建築学科入学

2000年 シャルマス工科大学留学(スウェーデン)

2002年 北海道東海大学 芸術工学部 建築学科卒業

2002年 デンマーク王立芸術アカデミー客員研究員(デンマーク)

2003年 ヘニング・ラーセン事務所(デンマーク)

2005年 アジャエ・アソシエイツ(イギリス)

2006年 DGT.(DORELL.GHOTMEH.TANE / ARCHITECTS)設立(フランス)

2012年 コロンビア大学 GSAPP非常勤講師

2014年 ESVMD大学院 客員教授

 

田根剛の作品「エストニア国立博物館」

26歳で受賞した国際コンペ「エストニア国立博 物館」で最優秀賞授賞

この受賞で国内でより海外で、田根剛の名前が有名になりました。

さらに同年にはダン・ドレル、リナ・ゴットメと共にパリを拠点に活動する「DGT.」を立ち上げました。その後も2020年東京オリンピックのための新国立競技場コンペで最終審査まで残ったりし

この年を境に田根剛は大きくはばたきました。

 

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まとめ

かっこいい人はどこまで行ってもかっこいい

そんな感想をもちましたね。

 

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