本日8月5日(金)徹子の部屋のゲストは正司花江と中尾ミエさんです。
正司花江さんと言えばもちろん「かしまし娘」のメンバーパートはギターです。少し出っ歯というか歯がよく目立ちよくしゃべるという印象。
管理人的には漫才のセンスは次女の照枝さんが、一番と思っています。
まあ3人ともよく喋るのですが。大阪の人間にとっては伝説的な漫才師のうちの入ります。あの枕の
歌が印象的です。
「ウチら陽気なかしまし娘 誰が言ったか知らないが 女三人寄ったら 姦しいとは愉快だね。ベリーグッド ベリーグッド お笑い お喋り ミュージック 明るく歌って ナイトアンドデイ ピーチクパーチク かしましい」でお馴染みのテーマソングは
頭にキチット残っています。
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かしまし娘の漫才休止は1981年
これは意外に古いです。
漫才ブーム(まんざいブーム)は、演芸界において、1980年 – 1982年のごく短い期間に漫才がさまざまなメディアを席巻し、またメディアに消費された一大ムーブメントである。
この漫才ブームの真っただ中に活動休止しているのですね。パッと見もったいないという気もするのです。かしまし娘が他の漫才師に比べて、年を取っていたからなのでしょうか?
漫才ブームに乗ったのは東京・大阪とも30代の漫才師が中心でした。
その頃三女の花江さんで、1936年5月4日生まれなので、45,6歳になっていました。長女の歌江さんで50歳とすぎていました。
余談ですが、長女の歌江さんの御主人が平井さんと言って、管理人の家の近くに平井さんの御主人のお母さんが住んでいたらしいです。
管理人は小っちゃくて全く覚えていませんが、その頃かしまし娘がコンビでよく訪れていたらしく、何やらかしまし娘と話していたらしいですが、残念ながら管理人の記憶にはまったくありません。
残念です。
かしまし娘は島田紳助の番組によく出演していました。これは紳助の師匠である島田洋之介・今喜多代と仲がよかったためです。喜多代は歌江と一時期コンビを組んでいました。
まだ若手の頃、来阪して大阪の事が右も左もわからなかった歌江はミスワカナに食事に誘ってもらったり、一緒に銭湯に行ったりと世話になった。
芸の素質を見込まれ弟子に誘われた事もあったが、親から貰った大事な正司歌江の名を捨てるのが嫌だったので辞退した。また、「ワカナ先生のところへ行くと先生以上にえらくなられへん」と言って断ったといいます。親が旅回りの一座で3歳から舞台に立っていたというから驚き。
たたき上げでプライドがあったのでしょうね。三女の花江さんは3歳から舞台に立っていたとすると芸歴は77年になりますね。
本日出演の中尾ミエ×正司花江出演の舞台です
ザ・デイサービス・ショー
かってのスター矢沢マリ子(中尾ミエ)
とデーサービスに集まる老人たちとが繰り広げるコメディー仕立てのミュージカルです。
2015年より公演を重ねています。
東京公演 11月3日(木)~6日(日)
よみうり大手町ホール
正司花江の最近のドラマ出演
裸の大将放浪記第8話「ヨメ子が嫁になりたがるので」(1982年、KTV) – 妊婦役
新・なにわの源蔵事件帳 第5話「艶女衣裳競べ」(1983年、NHK)
神戸っ子純情(1983年10月22日、毎日放送)
深夜にようこそ(1986年) – パン屋のおばさん
名奉行 遠山の金さん 第1シリーズ 第4話「標的は純情くノ一」(1988年、ANB / 東映) – キン
連続テレビ小説「だんだん」(2008年、NHK)-主人公・めぐみがボランティアをする老人ホーム「琥珀苑」の住居人の一人・須賀小百合役 7週からの出演
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