こんにちは。
くまのすけです。
爆報!THEフライデー
【あの昭和スターの謎が明らかに!2時間SP】
2016年12月2日(金) 19時00分~20時54分
故山岡久乃さんの養女泰子さんが出演します。
今現在シンガポールのマンション
にすんでいます。
山岡久乃の一番したの妹
の娘さんです。
管理人のなかでは山岡久乃は
お母さん女優ではピカイチです。
とにかく演技が自然なのです。
故山岡久乃さんはドラマ
での出演だけでもちろん
バラエティーなどでも
あまり出演してなく素顔があまり明らかで
ありませんでした。
その実像は演技と同じく
サバサバきっぱりした
性格のだったのです。
山岡久乃のプロフィール
本名 :山岡 比佐乃(やまおか ひさの)
芸名:山岡久乃
生年月日: 1926年8月27日
没年月日 :1999年2月15日(満72歳没)
出生地 :東京都大田区
死没地 :神奈川県川崎市
身長 :162cm
ジャンル :女優・声優
活動期間 :1942年 – 1999年
配偶者 :森塚敏(1956年 ‐ 1971年)
夫の森塚敏とは15年の婚姻生活
ですが、子供さんはおられません。
子供がいない、旦那さんもすでに離婚
これが、養女 泰子さんを
入籍した理由だと考えられています。
もうひとつ理由は日本のお母さんは
本当のお母さんになりたかったから。
今で言う青年後見人的
役割で養女を迎えたのでしょうね。
彼女は山岡久乃の姪ですね。
昔はこういう養子縁組は普通
にあったのですね。
なぜ養子縁組をしたかは
番組で詳しく語られるでしょう。
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山岡久乃の若い頃
【宝塚に合格も一度も舞台に立たず】
1942年、33期生として宝塚音楽舞踊学校に入学。
男役志望で、清澄あきらの芸名も予定していたが、
第二次世界大戦勃発・進展により劇団生活に限界を感じ、
一度も舞台に立つことなく1944年に音楽学校を中途退学。
終戦後改めて俳優座養成所で演技の勉強をしなおし、
1946年に俳優座入団、同年の『文化議員』で
初舞台を踏む。初出演映画は1953年の『やっさもっさ』である。
1954年には、同じ俳優座の準劇団員だった東恵美子、
初井言栄らとともに劇団青年座を結成。
その後、日活と専属契約を結び多くの映画に出演し、
青年座創生期は屋台骨として、劇団を支える。
以来、舞台をはじめ映像分野でも幅広く
活躍する総合女優として活躍。
1956年、同じ青年座創立メンバーだった俳優・森塚敏と
結婚するも、1971年に離婚。離婚と同年、青年座を退団。
その後は終世独身を通しました。
渡る世間は鬼ばかりの降板騒動
去に『渡る世間は鬼ばかり』脚本家の橋田壽賀子さんと、
女優の故・山岡久乃さん(享年72)の
不仲説が囁かれることがありました。
その時は、山岡さんが総胆管結石の手術直後で
療養が必要な時期でした。
実は胆管癌で、その先のドラマ出演
は不可能でした。
だが、当時山岡さんの病状を詳しく
知らされていなかった橋田さんは、
マスコミの取材に「病気であることを知ってお見舞いに行こうと
したら事務所から断られた」
橋田壽賀子はその頃頻繁にテレビに
出演していて、山岡久乃は私のことが嫌いなんでしょう
という皮肉をよく話してしまったのです。
山岡久乃は理由を一切言わなかったので
憶測だけが一人歩きしたのですね。
理由のはっきりしない山岡の突然の降板は、
民放各局のワイドショーや週刊誌などを中心に、
世間を騒がすことになりました。
(実際の降板理由は下記の通りで山岡の既定路線だったのだが、
これに触れたメディアはない)。
(山岡の)認知症発症説や山岡と橋田の確執説、
山岡の橋田への報復説なども噂されることとなりました。
第4シリーズ放送開始後、山岡は胆管癌であることを公表。
癌公表前の第3シリーズ出演中の時点で
次シリーズの出演意思はなかった。
これが橋田壽賀子がよくいう
嫌いな役者は、ドラマの中で
殺してしまうという意味です。
実際山岡久乃も
98年10月スタートの第4シリーズで
山岡さん演じる節子が海外旅行先で急死する、
という設定があったのだが、
一部では“橋田さんの意見で節子を殺した”と報じられるなど、
ふたりの確執が取り沙汰されました。
橋田壽賀子によると
「確執なんていろいろ書かれたけど、誤解もいいところです。
山岡さんとは何十年も一緒に仕事をやってきました。
でも、あくまで作家と女優の関係ですから、
個人的なおつきあいはほとんどなかったんです。
お互いの意見や思いは、プロデューサーの石井(ふく子)さんが
取り次いでくれていました。
が、正しい情報が私につたわってこなかったってことはいえると思います」
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山岡 久乃が和田アキ子を叱る
「山岡のおっかぁに叱られて以来、
今まで一度も遅刻したことはないのよ。めっちゃ、怖かった…」
と、ピンと背筋を伸ばして振り返る。
「『三男三女婿一匹』(TBS系、76-80年)
っていうドラマで共演させていただいたんですけど、
当時、私は横浜に住んでいてね。遠いでしょ。
だから(新宿)2丁目で朝まで飲んで、そのままテレビ局へ行ってたのよ」
和田アキ子は、すでに「あの鐘を鳴らすのはあなた」
(72年)が大ヒットするなど、歌手として人気街道をひた走っていた。
その天狗の鼻をへし折られる出来事があった。
ある日、仮眠している間に寝過ごして、
あわてて現場に向かうと、胃けいれんを起こしてしまった。
「何も食べないで飲んでばかりいたから…」。
朝からビッチリ詰まっていた撮影が滞った。
山岡さんのカミナリがスタジオに炸裂した。
「あんた、ドラマを何だと思ってんの!
歌手で人気があるかもしれないけど、ドラマはみんなで作んのよ。
あんたひとりのために、みんながダメになっちゃうのよ」
和田アキ子は自著の「大人の叱り方」
で山岡久乃さんに叱られたことを
書いています。
山岡さんに叱られてから
一度も遅刻をしたことがないそうです。
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