『欽ドン!良い子悪い子普通の子』の“フツオ”役でデビューし、一躍人気者になった長江健次先生が登壇。萩本欽一さんとの30年に及ぶ絶縁を告白します。
絶縁状態に陥った原因を、お世話になった萩本さんに嘘をついて不義理を働いてしまったと分析。
そして不義理を働いてしまった結果、居場所を失って仕事ゼ ロ、収入ゼロにまで転落してしまったのです。そこで今回は“お世話になった人に不義理をして絶縁状態にならないための授業”をお届けします。
今現在は欽ちゃんと和解し、関連番組にも出ています。
長江健次のプロフィール
氏名:長江健次(ながえけんじ)
生年月日:1964年7月17日(52歳)
出生地:大阪府豊中市
身長:170cm
職業:俳優・歌手・タレント
学歴:大阪府立渋谷高等学校卒業。大阪芸術大学中退。
≪大阪ではそこそこ有名≫
中学生時代から、地元・大阪で素人出演の番組に頻繁に出演し、物真似を中心とした芸を披露していた。
≪欽ドン!良い子悪い子普通の子のオーディションに落ちる≫
高校在学中、フジテレビのバラエティ番組『欽ドン!良い子悪い子普通の子』の出演者の一般公募オーディションに参加したが、落選(フツオ役に山口良一、ヨシオ役に西山浩司が決まったが、ワルオ役が決まっていなかった)。
≪長江健次はワルオのオーディションに落ちる≫
長井健次は当初ワルオのオーディションを受けて落ちました。オーディションを落ちた長江健次を萩本欽一が会場でみて、あまりにも普通な長江健次の姿を見て急遽フツオを演じさせてみたところ、萩本欽一のイメージにぴったり。
ヨシオ役の西山浩司がワルオに回り、ヨシオが山口良一に変更された。
それほど長江健次のフツオははまっていました。
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≪欽ちゃんの予想通りブレーク≫
長江健次は共演したヨシオ役の山口良一、ワルオ役の西山浩司と「イモ欽トリオ」を結成
いも欽トリオはよそうどおり大ブレークしました。
ティーン向けアイドル雑誌にもしばしば取り上げられた。1981年8月5日にリリースしたシングル「ハイスクールララバイ」は、150万枚を売り上げ、1981年度オリコンチャートでも4位を記録する大ヒットとなりました。
≪長江健次フツオをやめる≫
しかし大学受験等を理由に東京での仕事を減らし、1982年9月27日放送分をもって番組を降板、同時にイモ欽トリオを脱退した(二代目フツオ役は後藤正が担当となる)。
≪長江健次大阪へ帰る≫
欽ドンをおりた長江健次は、大阪で「突然ガバチョ」に出演しました。
1983年から1985年まで毎日放送(MBSテレビ)で放送された『突然ガバチョ!』で笑福亭鶴瓶とともに司会を務め明石家さんまとの『MBSヤングタウン』での共演もこの頃で、関西地区での人気を確かなものとしました。
しかし欽ドンを降板した時長江健次は、大阪へ帰るのは受験のために、欽ドンを降りるとおいう表向きそういう理由で大坂絵帰ることになりました。
実は大阪の番組関係者に口止めされていたようで、表向き受験と言ったらしいです。
まあそのことが風のうわさで欽ちゃんの元に伝わり、30年の絶縁という話しです。
≪萩本欽一の逆鱗に触れる?≫
芸能活動再開は、萩本欽一をはじめ東京での芸能活動時の所属事務所や関係者に対して一切の相談も断りもない形での再開だったため、萩本らの逆鱗に触れ(事実上、萩本は「破門」の烙印を押した)、
長江は現在の事務所の前身となるヤングジャパングループに所属するまで、東京での芸能活動が制限されていた。「欽ドン」の同窓会番組などでも、主要レギュラーメンバーで、長江だけが呼ばれていないことが続いていました。
実際欽ちゃんが本当に激怒したか、長江健次がおじけずいて欽ちゃん関連の番組に出なくなったのかはわかりません。
8/8のしくじり先生の放送であきらかになると思います。
≪趣味はスノーボード≫
その一方で趣味のスノーボードを活かし、プロの大会への参加やインストラクターとして活躍している。オリンピックの選考会にも出場したといわれています。
藤森由香と竹内智香のコーチを務めていたことでトリノオリンピックではコーチとして参加している。
長江健次スノーボードスクールでインストラクターとして後進の育成に努める一方、白馬五竜スキー場において自身の名前を冠した4時間耐久レースなども開催している。
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