寿美花代の今現在やプロフィール高島忠夫とのなれ初めや宝塚のこと

寿美花代さんについて

宝塚歌劇団を引退して、お若いころは夫の高島忠夫さんとよく一緒にテレビ番組に出演されていました。高島忠夫さんがうつ病を患ってから、おひとりで出演されることが多くなりました。

少しテレビ出演も減って最近の様子が気になります。

寿美花代の今現在

高島忠夫さんは

うつ病どころか、糖尿病、心臓病の他にパーキンソン病を発症していると初めて明かしていましたね…。ですが、この数年間、寿美さんは忠夫さんが回復したと 言って講演会や、雑誌のインタビューで体験談を語ったりしています。

高島忠夫さんの状態はそんなによくはないのでしょう。

もうずっと前から、高島家には住み込みのお手伝いさんと、夜にやってくる介護士さんが何人かいるんです。やはり成人男性を自宅で介護するとなれば、とても女性ひとりの手には負えませんからね」

決して、寿美花代さんが一人で介護されているようではなさそうですね。

 

寿美花代のプロフィール

芸名:寿美花代

本名:高嶋節子

生年月日:1932年2月6日(84歳)

出身地:兵庫県西宮市

血液型:AB型

活動期間:1948年

家族関係:高嶋政宏(二男)

高嶋政伸(三男)

シルビア・グラブ(二男の妻、義娘)

松平三保(妹)

松平瑠美(姪)

高嶋ちさ子(義姪)

長男の名前がありません。ここでは詳しく言いませんが、高島忠夫と寿美花代さんは長男を

不幸な事件で亡くされています。

興味のある方は高島忠夫事件で検索してください。

諸種の事情で

高嶋ちさ子(義姪)さんの家とは疎遠になっているようです。

1948年、宝塚歌劇団に入団。宝塚歌劇団35期生。

『春のをどり』で初舞台を踏む。同期生に高千穂ひづる、雅章子(金田正一夫人、金田賢一の母)、槇克己(元宝塚市長夫人)らがいます。

八千草薫とは一期違い。宝塚入団時の成績は46人中35位

調べてみて初めて知りました。宝塚の成績は意外に下の方ですね。

実妹も松平 三保の芸名で宝塚に在籍しています。

宝塚は宝塚を呼ぶではないですが、姉妹や親子で宝塚歌劇団という人は意外に多いです。

宝塚向きの家系があるのですかね。

ちなみに寿美花代さんは宝塚歌劇団では男役でした。

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宝塚歌劇団での活動

実働は14年間でした。

1948年 「春のをどり」(初舞台)

1951年 「蜜蜂の冒険」「虞美人」

1952年 「源氏物語」「猿飛佐助」(初主演)「シャンソン・ド・パリ」「ジャワの踊り子」

1953年 「ニューヨーク幻想曲」「コッペリア」「アンニー・ローリー」

1955年 「ミランの恋人たち」「マルタ」「国姓爺合戦」

1956年 「若草物語」「ローサ・フラメンカ(スペインの情熱)」「私のアンジェラ」「刀を抜いて」

1957年 「乞食と殿様」「ブーケ・ド・パリ」「夏と祭り」「ハワイ・コールス」「青い麦わら帽子」「赤と黒」「若い人々―続高校三年生―」「秋の踊り(三都アルバム)」「年忘れ狸御殿」「花姿宝塚踊り」

1958年 「花詩集」「光明皇后」「ハイ・ティーン」「三つのワルツ」「花の饗宴」

1959年 「日本美女絵巻」「ミュージックアルバム」「黒のあざ姫と炭焼」「シャンソン・ダムール」

1960年 「春の踊り(日本の恋の物語)」「ビバ・ピノキオ」「山びと」「華麗なる千拍子」(芸術祭賞受賞)「泣きべそ女房」「オープン・ザ・ウィンドウ」

1961年 「朧夜源氏」「華麗なる千拍子」「フォルテで行こう」「黒い太陽―黒人霊歌」「剣豪と牡丹餅」

1962年 「メイド・イン・ニッポン」(通産大臣賞受賞)「タカラジェンヌに栄光あれ」(退団公演)

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高島忠夫とのなれ初め

寿美花代の冷静な策略?

宝塚にずっといて男役が嫌になったとこで寿美さんが女性役のミュージカルをやって、

そのゲストで最初に出たのが忠夫さんだったようです。
この人をものにしたいと思い、オペラに誘ったものの、お腹が空いてお腹がなりだして途中で出て、食事に行って、帰りに「給料いくらもらってるんで すか」「住んでる所は持ち家ですか?」「隠し女はいますか?」と質問ぜめ。

クリアしたから「この人と結婚しよう」と思って2年付き合って結婚したらしいで す。
初恋の人が忠夫さんだったみたいですね。おめでとうございます。

また高島忠夫からのアプローチがすごかったようです。

寿美花代さんに毎日ラブレターを渡して、結婚したようです。

相思相愛ですね。

今でいう山本耕史 堀北真希の関係に近いイメージですね。

 

寿美花代エピソード

笑っていいともに出演時に飲酒運転(若いころの)を暴露

意外と天然で、さばさばしておられますが、若いころはおとなしくて以前「徹子の部屋」に

出演時は高島忠夫さんが心配し付き添いできてそのまま番組に出演した

という事もあるようです。

 

まとめ

旦那の高島忠夫さんは1951年に映画会社新東宝のニューフェイス「新東宝スターレット」の第1期生

本当によくしゃべる明るい方でした。うつ病になるなどみじんも感じませんでした。

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