岡田茉莉子の夫は吉田喜重!出演映画や若い頃のこと!目の下のくま?

 

11月28日(月)

徹子の部屋 テレビ朝日 12:00~

主役は岡田茉莉子さんです。

 

物事ははっきり言うタイプらしく

最近の女優さんについてきかれ

彼女らは女優ではなく、タレント

であると言っています。

 

映画に150本以上出ている女優さん

ならではの発言ですね。

 

さてそんな岡田茉莉子さんの

出演映画の数々、若い頃のこと

管理人は非常に目の下も気になるので

そのあたりを紹介します。

 

出演映画は155本を数えます。

それでは代表作をご紹介します。

 

舞姫(1951年)

足にさわった女(1952年)

坊っちゃん(1953年)

花の中の娘たち(1953年)※初のカラー映画出演

さらばラバウル(1954年)

宮本武蔵(1954年)新・鞍馬天狗 第二話

恋化粧(1955年)

浮雲(1955年)

青い果実(1955年)

流れる(1956年)

顔(1957年)

柳生武芸帳(1957年)

土砂降り(1957年)

日日の背信(1958年)

悪女の季節(1958年)

ある落日(1959年)

秋日和(1960年)

猟銃(1961年)

秋津温泉(1962年)

秋刀魚の味(1962年)

無宿人別帳(1963年)

残菊物語(1963年)

四谷怪談(1965年)

女のみづうみ(1966年)

不信のとき(1968年)

エロス+虐殺(1970年)

波止場女のブルース(1970年)

黒の奔流(1972年)

吾輩は猫である(1975年)

人間の証明(1977年)

赤穂城断絶(1978年)

金田一耕助の冒険(1979年)

序の舞(1984年)

タンポポ(1985年)

マルサの女(1987年)

激動の1750日(1990年)

おもちゃ(1999年)

鏡の女たち(2002年)

エリ・エリ・レマ・サバクタニ(2006年)

 

岡田茉莉子略歴

芸名:岡田茉莉子(おかだまりこ)(旧姓:田中)
本名 :吉田 鞠子 (よしだ まりこ)

生年月日: 1933年1月11日(83歳)
出生地: 東京府東京市渋谷区代々木
職業: 女優・映画プロデューサー
活動期間 :1951年 –
活動内容: 映画・テレビドラマ・演劇
配偶者 吉田喜重
著名な家族 父:岡田時彦
母:田鶴園子

 

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岡田茉莉子の若い頃

新潟で女学生時代、演劇部の友人と

映画館でサイレント映画『瀧の白糸』(1933年版)を観て、

帰宅後にその映画の話をすると母が泣き出したといいます。

 

その時、初めてその映画の主演である岡田時彦が

自分の父であることを知らされ、慌ててもう一度、

今度は自分の父を見るために一人で映画館へ脚を運んだ。

 

実にその時まで、岡田時彦が岡田茉莉子の父

だということは母によって伏せられていた

のですね。

 

東宝ニューフェイスの第3期として、同期の

小泉博らと共に東宝演技研究所に入所しました。

若い頃の岡田茉莉子さん本当に美しいです。

息を呑むと言いますが、まさにそのレベルです。

 

入所して20日後、成瀬巳喜男監督の映画『舞姫』の

準主役に抜擢される。以降、父親譲りの美貌と

演技力で東宝映画の主演スターとなる。

 

1957年3月にフリーとなり、同年9月に

松竹と専属契約する。

 

女性映画を得意とする松竹では数々のメロドラマに主演し、

先に東宝から松竹に移籍していた有馬稲子と

共に松竹の二枚看板として大活躍した。

 

1962年、「岡田茉莉子・映画出演100本記念作品」として

自らプロデュースした主演映画『秋津温泉』が大ヒットし、

多くの映画賞も獲得した。会社の意向で

 

助監督に戻されていた吉田喜重を

監督に起用した作品でした。

 

翌年、その吉田監督と婚約しました。

監督の女優の結婚は当時よくある

出来事ですね。

 

岡田茉莉子の目の下のくま?たるみ?

これは若い頃から見うけられますね。

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若い頃も大変おきれいです。

目の下にはやはりくま?たるみがすでに

見受けられます。

若い頃睡眠不足の生活を送られていたのでしょうか?

それとも体質?

 

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今現在の岡田茉莉子さん

 

岡田茉莉子の夫は吉田喜重

1933- 昭和後期-平成時代の映画監督。
昭和8年2月16日生まれ。岡田茉莉子(まりこ)の夫。昭和30年松竹に入社,35年「ろくでなし」で監督デビュー。

「秋津温泉」などを手がけ,39年独立。以後「エロス+虐殺」「戒厳令」などを発表。62年「人間の約束」で芸術選奨。

平成2年フランスでオペラ「蝶々夫人」を演出。11年評論「小津安二郎の反映画」で2度目の芸術選奨。福井県出身。東大卒。

 

城南高校時代のこの頃、フランス語を習うためアテネ・フランセへ通い、フランス映画をよく観ていた。

 

大学卒業とともに松竹大船撮影所に入社。木下惠介などの助監督を経て、1960年に『ろくでなし』で監督デビュー。

以後、『秋津温泉』(1962年)、『嵐を呼ぶ十八人』(1963年)などの作品を手がけ、大島渚や篠田正浩らとともに松竹ヌーヴェルヴァーグの旗手として活躍する。

1964年に女優の岡田茉莉子と結婚。新婚旅行中に6作目の『日本脱出』(1964年)のラストシーンを松竹に無断でカットされたため退社。

 

追記2017年7月19日徹子の部屋

岡田茉莉子さんと吉田喜重監督が、「徹子の部屋」でトーク番組初共演を果たします。

18歳でデビューした岡田さんは、たちまち人気女優となり数多くの映画に出演。

そんな中、自身の出演100本記念作品の監督を、当時新進気鋭の吉田さんに依頼した。その映画『秋津温泉』に満足した岡田さんは、女優引退を考えていたが、吉田監督の一言で運命が変わり…。

その後、海外挙式をした2人は、ヨーロッパ8カ国を巡る35日間の新婚旅行に。今日は特別にその旅先で手に入れた思い出の品をスタジオに持参

 

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