女子アナウンサーDは土井尚子!今現在はネイルサロン経営者結婚子供は?

こんにちは。

くまのすけです。

10月14日(金)

爆報!THE フライデー【あの人は今…人生の決定的瞬間SP】

2016年10月14日(金)  19時00分~19時56分

では80年代のフジテレビ「ニュースの顔」だった女子アナウンサーDは今… 若い女性に人気の○○○を経営!

71店舗を持つ超やり手女社長に

女子アナウンサーDとは土井尚子さんです。

元フジテレビの女性アナウンサーです。現在ビジネスは結婚して姓が変わり

板野尚子(ばんおなおこ)で行っておられます。

アナウンサーのキャリアは5年間は国内でアナウンサー、

2年間、ニューヨーク特派員を務めた後、同 社を退職

合計7年間のキャリアです。

しかし女子アナで終わらず、結婚・育児・起業もという

欲張りな人だったようです。

ニューヨーク特派員勤務で自らのビジネスを立ち上げることを

思いついたようで、米コロンビア大学のビジネススクールに留学。

MBA取得・・・これは一般のよく経歴詐称で問題になる

ナンチャッテ留学ではなく、本当にビジネスの立ち上げで必要

だったので留学したということですね。

帰国後は、外資系コンサルティング会社に入社し、

シニア・コンサルタント、ディレクターとして勤務しました。

新しく経営戦略コンサルティング部門を立ち上げるタイミングという話だったので面白そうだと。

もうひとつの理由としては、起業するための、これぞというネタがまだなかったということもあります。

いきなり起業の失敗も怖かったのも理由

最初は人材関係ビジネス

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1994年1月、キャリアカウ ンセラー、エグゼクティブ・サーチを事業とする

人材戦略コンサルティング会社・キャリア戦略研究所を設立し、起業します。

ニューヨークの女性たちが手軽にネイル サロンを利用する姿を見て、

日本にも適正価格のネイルサービスの必要性があると思い立ち、

2年後の1996年1月にザ・クイックを設立します。

日本にネイルビジネスが必要と考えた板野尚子さん

はやはりある意味パイオニアです。

現在、ザ・クイックは株式会社ノンストレスに社名変更。

「ネイルクイック」「ネイルパフェ」「クイックシェイプ」などの店舗を全国71店舗展開している。

家族は子供は

ビジネススクールで知り合った男性と結婚

後に旦那さんになる男性も日本企業からのMBA派遣です。

板野俊哉さん(56歳)

外資系コンサルタント会社の執行役員を

つとめています。

 

ビジネスエリートです。

子供は23歳の女の子が一人います。

 

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板野尚子の子供時代

父親はヘッドハントされながら転職を重ね、住友造船から始まって、

森永製菓・乳業、西武、ダイエーと、基本的にはフードビジネス業界で働く企業戦士だったとのこと。

ダイエーの常務を最後に50歳で飲食ビジネスのコンサルタントとして独立して事務所を開設し、

今も元気にやっているようです。

厳しい母に育てられた小学生時代の私は、もう絵に描いたような優等生!。

勉強も、着る物も、髪型でさえも、非常にうるさくしつけられたようです。

 

ホント、教育ママ。何でも一番になるのが当たり前。

それを真に受けて頑張ったので、テストの成績はほとんどトップクラス。

東洋英和女学院の中等部に進学。

 

両親には、「大学はアメリカに行くといい」と提案されていたようです。

板野尚子さんにそんな気はなく。国内の大学に進学して、弁護士になるか、

臨床心 理士になりたいと思っていたそうです。

 

大学受験を迎えるのですが、残念ながら一橋大学は不合格。

合格した慶應とICUですが、私の中ではほぼICUに傾いていたよう。

結局ICUで心理学を学ぶ道を選んだんです。

 

«憧れのアナウンサーに»

 

ただ、当時の就職環境は、今なんて目じゃないほどの超・超氷河期です。

4大卒の女性はさらに厳しくて、優秀な私の友人も短大卒の募集の入社試験を受けていたほど。

そんな時代ですから、希望どおりフジテレビのアナウンサー試験に受かった時は、

自分自身、正直びっくりしたそう。

 

面接でも冗談ばかり言っていた記憶がありますし。でも、入社試験を受ける会社の情報収集、

対策、戦略、アクションプランをA4のノートにびっしり書き込んで、かなり精密につくっていましたよ。

 

そのおかげで、フジテレビのほかに、人気の旅行会社、都銀の内定も獲得できました。

 

«順調に仕事が増えるも・・・»

リポーターとしていろんな仕事を任されるように。

それからの約4年間は、ほぼ休みなく北は北海道、南は沖縄と全国を飛び回り、

忙しくも楽しい毎日を送ることになりました。

 

ひとつの転機として、ほぼ確定していた「なるほど・ザ・ワールド」のレギュラー出演が

立ち消えになったことが挙げられます。この時は本当に悔しかったようです。

 

もしもこの話が生きていたらなら、板野尚子の人生は今とは違ったものになっていたと

著書にも書いていました。

 

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«ニューヨーク特派員派遣で考えたこと»

 

985年3月、希望していたNY特派員を任じられ、憧れのNYで仕事をすることになるんです。

赴任して帰ってきたら、「このままアナウンサーを続ける」

「フジテレビでディレクターになる」「フリーアナウンサーになる」「大学院でジャーナリズムを学ぶ」

という4つの選択肢をもっていました。

ところが2年間のNY生活で、マスコミ業界以外の職業に就いている

魅力的な人々とたくさん知り合いになり、

親しい友人になるにつれ、「もっといろんな人生の可能性を考えていいんだ」って発見が私の中に生まれたんですね。

また、「ディレクターに使われる仕事は性に合っていないな」と感じ始めた彼女がいました。

 

ニューヨーク派遣で自分を客観視することでマスコミ以外の

選択肢が見えてきたのですね。

 

«コロンビア大学ビジネススクールへ»

1987年の12月25日、コロンビア大学のビジネス・スクールの入学許可が届き渡米

1年5カ月でMBAを取得したのですが、板野尚子にとってビジネス・スクールでの日々は三重苦の連続。

 

まず学生同士の英語のディベートが最初はなかなか聞き取れない。

 

もともと経済や経営学の知識がいっさいない。フジテレビでの7年間、

机に座って仕事したことがほとんどない。授業を終えた夜、

分厚い英語の参考書をめくりながら知らない間に眠りに落ちていたそう。

 

MBAはほんとに厳しいのです。

 

«第一の起業»

板野尚子は子どもが1歳の誕生日を迎えた1994年の1月にキャリア戦略研究所を設立。

半年後には街の雰囲気が大好きな表参道に小さなオフィスを構え、

エグゼクティブ・サーチ事業をスタートさせたのです。これが彼女の最初の起業となりました。

 

«第二の起業»

1996年1月に設立したネイルサービスを提供するザ・クイックという会社。

現在は、ノンストレスに社名変更しています。

東京のネイルサロンは1回5000~6000円と価格も敷居も高かったのです。

 

そこで、板野尚子は半年ほどかけてじっくりとフィールドリサーチを行い、

事業プランを何度もつくり直し、1回2800円から受けられるネイルサービス事業を立ち上げたというわけです。

ネイルサロンの価格破壊はデフレの時代ともマッチし大ヒット

現在ストレス解消美容サロン「Nail Quick(ネイルクイック)」、

「SPANAIL(スパネイル)」、

「NailParfait(ネイルパフェ)」のチェーン運営で71店舗を

運営しています。またFC展開も行っているため

店舗数は直営で行うより、増加するでしょうね。

 

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