東京五輪女子バレーボールのSって誰?71歳独身の今どういう暮らしを?

10月7日(金)

爆報!THE フライデー【疑惑の真相直撃&あのメダリストは今…大追跡】

2016年10月7日(金)  19時00分~19時56分 TBS系列で放送されます。

東京五輪・女子バレーボールで金メダルを獲得した“東洋の魔女”Sは今… 71歳独身…3000坪の林の中であるものを拾って生活していた!

“東洋の魔女”Sとは佐々木節子さんのことです

東洋の魔女(とうようのまじょ)は、1961年の欧州遠征で22連勝した日紡貝塚女子バレーボールチーム

に付けられたニックネームです。あまりにもデータが無くやたらと強いので、欧州各国は東洋からきた魔女とよんだのでしょう。

ただし佐々木節子さんは1961年の遠征にはまだ日紡貝塚に入社していませんので。参加してはいません。

早速ですが佐々木節子さんの経歴です。

 

氏名:佐々木節子

生年月日:1944年10月16日(71歳)

身長:173cm

体重:60kg

 

大成女子高校 → 日紡貝塚/
ニチボー貝塚(1963-1967年)

全日本代表としての主な国際大会出場歴

オリンピック – 1964年

1964年東京オリンピックバレーボール女子金メダリスト

世界選手権 – 1967年

東京オリンピックでは9人制バレーの時代、ポジションのチェンジはありません。

高校を卒業しニチボー貝塚に入社

大松博文の教えを受ける。だまって俺について来い!鬼の大松と言われ選手からは恐れられていました。

猛スパルタ練習で部員を鍛え上げた監督です。

一チームのバレーボールの五輪監督にそれもこれも大松博文監督の指導力に協会が期待してのことです。

後に知名度をいかして、自民党より参議院選挙全国区に出馬し見事に当選を果たします。

当時日紡貝塚のチームは東洋の魔女と呼ばれていました。

 

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東京五輪女子バレーボールチーム12名中なんと10名がニチボー貝塚の選手でした。その頃いかにニチボーの選手がすごかったかがわかります。

その中でも佐々木節子は最年少でエースと言うポジションをこなしています。
多くのチームが、レフトオープンにエースを置く形を採用していますが、それには三つの理由があります。

1.右利きの人は、レフトからスパイクし易く、右利きの人の方が多い。
2.二段トスを用いてトスを上げた場合、レフトサイドのオープンからであれば、多少トスが乱れても、攻撃することが可能。
3.相手コートの、幅や奥行きを、いっぱいに使った攻撃ができる。

1.については解説を要しないと思いますが、2.以下について解説します。
2.と3.は、9人制の大きな特徴となっています。

2.で述べた二段トスとは、セッター以外の選手によるオープンに対するトスですが、ブロックのワンタッチをカウントする9人制では、この二段トスからのオープン攻撃の成否が、勝敗にかかわる極めて重要な攻撃となります。

ブロックのワンタッチを取れば、相手チームは、その次を即座にトスに結び付けなければならないからです。

このように佐々木節子は東京五輪では最年少で重要なポジションを任されたのです。

 

まとめ

 

 

爆報!THE フライデーで予告されている3000坪の敷地で独身の佐々木節子さんが、一人で落ち葉を拾っている?

ちょっと興味を持ってしまいます。

どういう暮らしをされているのかは、番組を見ていただくしかないです。

きっと独身で優雅な生活をされていることを望んでいます。

 

ただ3000坪の山林なのでこれは恐らく別荘地で静かに暮らしておられるのかも

結婚には縁がなかったのですね~若い頃すごくおきれいです。

 

 

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