テント(漫談家)は上岡龍太郎の弟子交通事故で死亡!【動画あり】

今日のニュースピックアップです。

悲しいニュースが入ってきました。

1974年11月11日11時11分、新世界の新花月で初舞台(実家の)テント屋の修行などを経て1981年、上岡龍太郎に弟子入り。同年、漫才コンビ星空まあちと「テント・シート」を結成、解散後は幸つくると「大空テント・幸つくる」を結成、

NHK上方漫才コンテストで優秀賞を受賞、一躍脚光を浴びたが、数年後に解散。ヤマトと「ざっと31」を結成も解散、その後ピン芸人として活動。

上岡から「出てくるのがあと10年早かった」と言われ、「21世紀型芸人」の異名を持つ。

 

出典:Gooニュース 2016.9.28. 00:45

 めったに姿を見られないことから“ツチノコ芸人”の異名を持つお笑いタレントのテントさん(本名三浦得生=みうら・とくお)が27日夜、大阪市内の交差点で乗用車にはねられ、搬送先の病院で亡くなった。65歳だった。

大阪府警天王寺署によると、現場は大阪市営地下鉄谷町九丁目駅の上にある交差点。横断歩道を渡っていたテントさんが、走ってきた車にはねられた。同署が詳しい状況を調べている。

テントさんは大阪府八尾市出身。元々は大空テントとして幸つくるともに漫才コンビを組み、1981(昭和56)年の第12回NHK上方漫才コンテストで優秀賞を受賞した。その後は芸能界を引退した上岡龍太郎さんに弟子入りし、「テント」と改名して漫談に転向した。上岡さんからは「出てくるのが10年早かった」などと絶賛され、自分をパチンコ台に見立てて手をぐるぐる回転させる“人間パチンコ”などの一風変わった芸で人気を集めた。

2012(平成24)年に女優の国仲涼子が主演した舞台「吉本百年物語」の製作会見でテントさんは、自身の右手と左手をクモに見立てて戦わせる得意ギャグ“クモの決闘”を披露。奇妙な芸に吉本芸人すら口をあんぐりとあけ、国仲はなんとか苦笑いを浮かべていた。

国仲は後になってデイリースポーツの取材に「テントさんが印象に残っています。会見まで存じ上げなかったので」と戸惑ったことを明かしていた。

2002(平成14)年にはNTT西日本のCMで女優の天海祐希と夫婦漫才師役を演じて話題となった。

 

 

[youtube id=”x_QWcVDvIF0″ align=”center” mode=”normal”]

テントさん子供の頃は超過保護だったそう。

若い頃のテントさんはほとんど知りません。

あまりマスコミの目に触れないのでツチノコ芸人と呼ばれる。

松竹芸能もやめてしまった。

いずれ上岡龍太郎に弟子入入り、上岡龍太郎は簡単に弟子入りを認めたようです。

上岡龍太郎には出てくるのが10年早すぎた、50歳を過ぎたら売れるなどと言われていて、

テントの芸に大衆が追いつくのは時間がかかると言っていたそうです。

 

管理人が始めてみたのは、天海祐希さんとのCM共演でした。

動きが面白いですね。

 

上岡龍太郎さんのコメント 9月28日

元タレントで芸能界を引退した上岡龍太郎さん(74)が28日、大阪市内の自宅前で取材に応じ、27日夜に弟子でお笑い芸人のテントさん(享年65)が車にはねられ亡くなったことに、「思いがありすぎて…」と沈痛な表情で語った。

午後6時すぎ、外出するため姿をみせた上岡さんは、報道陣が「(弟子の)テントさんがお亡くなりました」と声をかけると、静かな声で「あす(午後)7時からお通夜がありますので、その時にお話させていただきます」と話した。

雨が降りしきる中、上岡さんは、傘をさして歩きながら「思いがありすぎて…」とつぶやいた。

 

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