塚原利夫(元日航機長)の経歴や今現在!東亜国内航空機胴体着陸事故について

ザ裏ワイドSHOW★関係者が選ぶ事件FILE★日本の航空事故SP

2016年9月14日(水)  20時54分~22時54分 TBS系列で放送

塚原利夫機長の物語がオンエアされます。

 

日本ヒューマン・ファクター研究所 HPより転載

塚原 利夫(取締役副所長 兼 教育開発研究室長)(1949年生まれ)

  • 立教大学経済学部卒業
  • 南カリフォルニア大学ヒューマンファクター課程修了
  • 元 日本航空インターナショナル 機長
  • 航空功労者 国土交通大臣表彰(2004年)
  • 防衛省航空幕僚長 感謝状(2012年)
  • 航空運航システム研究会理事
  • 日本人間工学会 会員、航空運航システム研究会理事
  • 著書 「機長の危機管理」講談社 (共著)
    「あなたは事故を起こさないか」航空運航システム研究会 (共著)
    「環境災害事故の辞典」丸善 (共著)
    「そのとき機長は 生死の決断」講談社 (共著)
    「品質とヒューマンファクター」日科技連出版 (共著 2012年)

塚原利夫の今現在

ある病院の記録から

「下血のために入院されて緊急手術になった人は、医療安全のことではすごく偉い方らしいですよ。何でも、昔は有名な機長さんだったとか」に始まって、2月 中旬ごろには「よくなって退院されました。

帰られるときには『私もいくつかの病院をみてきましたが、いろんな面でこんなにいい病院はありませんでした』と お褒めの言葉も頂きました。何でも日本医療機能評価機構にも関係があるらしいです」と言うことだった。
個人情報を考えると、名前を挙げるのは少し憚られるが、後の「人間力」のエピソードで出てしまうので、お許しいただきたい。
塚本利夫さんは鹿児島を旅行中に突然下血して、いくつかの救急病院を回ったが受け入れてもらえず、瀕死の状態で当院に辿り着かれたようである。

 

診断も、また 術中診断も消化器内科と外科がコラボーレートしてなされたようで、緊急手術の後、順調に回復されて退院に至った。このように内科と外科が緊密に連携して事 にあたれるのは当院の強みである。

これは2015年の事です。いまは無事日本ヒューマンファクター研究所で業務に当たられているようです。

 

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離れ業の片脚着陸  YS-11
1979.7.11
羽田発南紀白浜行き東亜国内航空(当時)381便のYS-11が離陸後、後部左車輪が故障で出なくなり、羽田に引き返し半胴体着陸。幸い、乗員乗客は全員無事。
(『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用)

同級生Kが副操縦士であった。塚原利夫さん自身が大学中退で早く飛行機に乗り始めていたからそういうめぐり合わせになったようである。

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1979年7月21日午前8時38分、東亜国内航空381便南紀白浜行きYS−11機は、満席の乗客を乗せて羽田空港を飛びたちました。

 

機長は国内最年少の25 歳で機長となり、5年目となった塚原利夫である。またこの日は当時28歳だった人気女優の由美かおるも、白浜での午後からのステージのためにたまたま乗り 合わせていました。
機長が離陸後車輪を格納しようとしたところ、同時に消えるはずの車輪格納ランプの、左後輪のランプが消えるのがほんの少し遅いことに気がついた。そこで 塚原は副操縦士に「再度車輪を出し、格納するように」と指示を出したが、その時左後輪が出ないということが判明した。
このとき副操縦士が車輪を出そうとスイッチを必死で操作する音が客室にまで響き、乗客たちは「何か起こったのだろうか」と不安を感じ始める。
8時53分、塚原利夫は羽田管制塔に「引き返したい」と連絡した。これに対し管制塔はいったん房総半島沖で待機するように指示を出した。塚原機長は、現状を乗客に説明するためにマイクを握りました。

 

「ご搭乗の皆様。当機は左の車輪が出ないというトラブルに見舞われたため、目的地に向かわず、羽田空港に戻ることになりました。その際、胴体着陸の可能性もありますが、できる限りの手段を尽くしますのでどうかご安心ください」
このアナウンスを聞いた乗客たちの間に一気に不安が広がる。客室乗務員から、お客さまから「万一の時にはどのようなことになるのか説明してほしい」と いう質問がたくさん寄せられていますとの報告を受けた塚原は、副操縦士に操縦をゆだね、状況を説明するために客席前部の通路に立って乗客たちに説明を行いました。
その後通路を歩いてすべての乗客の目を見ながら質問に答え、お互いの心を開いて乗客たちの不安を取り去ろうととした。由美かおるの姿に気づいた塚原は、「由美さんですね、大丈夫ですか?」と彼女に声をかけ、由美かおるは「大丈夫です」と明るく答えました。
乗客の中には、塚原に、「お前では話にならないから機長を出せ」と詰め寄る乗客もいたが、塚田が冷静に「わたしが機長です」と答えると、その乗客は「こ んな若い機長で大丈夫なのか」と震えながら言葉を詰まらせた。

 

その乗客に対して塚原は、「もう機長として5年飛んでおります」と答えたのだが、彼も乗客た ちの不安を強く感じただけで操縦席に戻るしかありませんでした。
「乗客の命を預かる機長として、また最終的には危険な操縦をしなければならない立場として、全乗客の信頼を得ておきたい」
操縦席で思い悩んだ塚原は、やおら副操縦士に、「お客さまにぼくたちが操縦しているところを見てもらうのはどうだろうか」と提案した。ハイジャック防止 のために乗客が操縦室に立ち入ることは固く禁止されている。

しかしこの当時は、緊急時にはすべての判断が機長にゆだねられていた。さっそく子供たちが操縦 室にやってきて、計器についての質問をした。

 

それに対して操縦士たちは明るい表情で答えた。彼らがふだんと変わる様子もなく仕事をしていることこそが、乗 客にとって一番の安心材料だったのである。

 

塚原さんにとっては、このフライト自体、欠員出たのでピンチヒッターであった。

「なぜ自分ばかりが?」という思いはあったが、

神が与えたもうた試練と受け止め、何にでも立ち向かう覚悟、何度もあった故障や気象に恵まれなかった経験からすでにできていた。驚くべき胆力、人間こうありたいもの。

 

片脚が出ないことが決定的となり、燃料を使い果たすまでの時間に、なんと操縦室の見学希望者を案内する。旅客を安心させるため機長の提案。

 

「見せ場を作るんだ。こっちが慌てることなく、ごく平静でいる状態を見てもらえば、お客さんも安心するだろう」との思いから機長の提案。

 

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ほとんどの乗客が顔をのぞかせた。K副操縦士は乗客に脚下げレバーや表示灯の意味を詳しく説明。

塚原機長もジョークをまじえて乗客とのコミュニケーションに努めた。

 

乗客は初めて見る操縦室で、所狭しと並べられた計器やスイッチ類に驚くやら、

180度を超える展望パノラマに感激するやら、はたまた記念写真を撮るやら、まるで遊覧飛行さながらのひと時であった。

この間 30分。乗客をリラックスさせることには完全に成功します。

そして、なんとこれから行う決死の着陸操作を「ジェットコースターの1,2分を楽しんでください」とアナウンス。
度胸が据わっていると感心。

 

乗客たちは機長の肩をたたき、「あとはあなたたちにおまかせするしかないのでよろしくお願いします」と言って客席に戻っていった。塚原利夫は乗客たちの信頼を得ることに成功したのだ。
10時45分、急上昇、急降下を繰り返しその衝撃で車輪を出すという最後の試みを行うものの、車輪は出なかった。
10時58分、381便は緊急事態を宣言し羽田空港は閉鎖された。塚原は胴体着陸よりも乗客への衝撃が低いであろう片輪着陸を決断する。機体が損傷する可能性があるので女性や子供を通路側に移動させる。この時乗客たちは覚悟を決めた。
塚原利夫は機体のバランスを微妙に調整しつつ滑走路へのアプローチを試みた。乗客たちは恐怖と不安を鎮めるために祈るしかなかった。YS−11は見事な角度 で滑走路に進入、前輪と右後輪でバランスを保ちつつ減速し、ゆっくりと左翼を滑走路におろして滑走した。

 

左翼の接地後、機体は右周りで150度ほど大きく 回転し、火花を散らすこともなく滑走路からやや外れて停止した。11時40分のことである。すぐに28台の消防車が機体に向かい、エンジンに放水した。
由美かおるはインタビューに答えて、「着陸前に機長に、緊張してくださいといわれたが、機長の声がゆったりとした自然体で、車輪が出ないことを忘れてし まうほど安心することができる状態を作ってくれた。わたしは逆にリラックスして鼻歌を歌っているような感じでした」と話している。
機長は着陸後、「大けがをなされた乗客もなく、わたし自身または乗員すべて同じ気持ちだと思いますが、たいへん幸せに思います」と抑制の利いた声でインタビューに答えました。
塚原機長は、自分たちが平常心を持って対処している姿勢を乗客に見せることによって、乗客の揺るぎない信頼を獲得し、ダメージを見事にコントロールしたのである。

 

着陸成功後、操縦室のドアを開けると、乗客から大きな拍手が沸き起こり、
握手を求められた。中には記念撮影をするグループもいたほど、乗客には緊迫感はなかったのです。

安全な胴体着陸(もう一方の車輪もいれて)せずに危険な片足着陸を選んだのは荷物室に医療用アイソトープを積んでいたため。片足着陸を機長は選びました。

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まとめ

この東亜国内航空の事故については特に、機長の判断について国からの調査はなかった模様です。

同じような事故でハドソン川の奇跡で知られるUSエアウェイズ1549便不時着水事故では当時の機長のハドソン川への着陸をめぐって、米国家運輸安全委員会の調査をうけたようです。

近くの空港に引き返すオプションがあったのに空港に引き返したという件に関してですね。

 

もしアメリカ国内で事故が起こっていたら東亜国内航空(当時)381便のYS-11についてはさしずめなぜ片輪で着陸したか?ということが問題になった可能性がありますね?

とにかく全員が無事に戻ってこれて良かったです。

 

YS11羽田空港着陸動画

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