冨士茂子(冤罪事件)の言葉が瀬戸内寂聴の魂を震わす?事件内容って?


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瀬戸内寂聴の魂を震わせた女性とは 冨士茂子さん冤罪事件の被害者。
冨士茂子は被害者ラジオ商の内縁の妻でした。

最後の言葉はこんな言葉であったといいます。瀬戸内寂聴はもっとも悲しい人生の女性の言葉と表現しました。

何もしていないのに・・・
冤罪を犯したり
人間がどんなに不確実なものか
おろかなものか・・・。

この言葉は重いです。国家権力により無実の罪の女性が冤罪に。

 

徳島ラジオ商事件とは

ラジオ商とは当時の言葉。今で言う家電店なのですが、売上が今とは違い、もちろん当時は家電量販店もない時代です。
相当儲かっていたのは間違いないようです。
経営者の三枝亀三郎はなかなかやり手で敵も多かったようです。

昭和28年11月5日午前5時10分頃、徳島市内の電気商に何者かが侵入し、経営者の三枝亀三郎(当時50歳)を刺し殺した。三枝は出血多量で即死状態であった。

 

警察(徳島市警)は、居直り強盗かラジオ商に恨み(怨恨)をもっていた外部の男の犯行とみて捜査を始め、暴力団員らを別件逮捕しました。自白が得られず捜査は難航しました。警察に焦りが出ます。

1年近くになっても犯人検挙ができない警察に対して、マスコミが批判的な報道を繰り返すようになったこの頃。
当時、三枝の電気店に住み込みで働いていたA少年(当時17歳)とB少年(当時16歳)を度々地検に出頭させて事情聴取するようになりました。

事件はこの頃から警察の誘導により、外部犯行から内部犯行に動きました。
警察は2人の住み込み少年に誘導尋問を繰り返していく中、脅しも交え、ラジオ商の内縁の妻の冨士茂子に罪をかぶせることを画策。

徳島地検も警察と連動し、A少年は45日間、B少年は27日間身柄を拘束し虚偽の供述をさせます。年端のいかない少年に検事らが寄ってたかって「お前が茂子に言われて電話線を切ったんだろう」などと執拗に取り調べた。

当初、身に覚えのないことだと否認していた少年を自白(虚偽)させるには簡単であったでしょう。そのうち、自白すれば家に返してやるなどとアメとムチで以下の虚偽自白を引き出すことに成功。

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富士茂子が逮捕される

昭和29年8月13日、富士茂子は殺人罪で逮捕される。厳しい取り調べで、一旦は「犯行を自供」するが、公判は一貫して無実を主張した。しかし、主張は認められず、昭和31年4月18日第一審で徳島地裁は、懲役13年の判決を下します。

1966年11月30日に仮出所。姉弟や市民団体の支援のもと再審請求を続けたが、第5次再審請求中の1979年11月15日に肝臓がんのため死去(享年69)。
その後、冨士の遺志は姉弟が受け継ぎ再審請求がなされた。第5次再審請求は(姉妹弟への継承にともない名称は「第6次再審請求」となる)、1980年12月13日に徳島地方裁判所が再審開始を決定。1985年7月9日に徳島地方裁判所は無罪判決を出しました。

 

無罪の理由は
●有罪の決め手となった店員の証言は誘導尋問によって導き出された疑いが強い
●冨士に男性を殺害すべき動機もない
●外部からの侵入者による犯行をうがかわせる証拠が多い

地検の不合理な行動に疑問を持った人々が「富士茂子を擁護する」団体を結成しました。社会党の市川房枝や作家の瀬戸内寂聴ら知識人の活動も活発になっていく。

というもので、捜査機関のずさんな捜査が糾弾されたものででした。
1985年12月12日、徳島地方裁判所は冨士の娘に対して3235万円(逮捕された1954年8月13日から仮出所した1966年11月30日までの4493日間に7200円を掛けた額)の刑事補償を支払うことを決定しました。

 

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