湯木博江の死因は!若い頃の写真や経歴?新沼謙治とはバトミントンの縁!

5月17日(水)徹子の部屋 今日のゲストは新沼謙治です。

新沼謙治が亡き妻湯木博江の思い出を語ります。

湯木博江はバトミントン選手です。

現役中は 国際大会での優勝経験もある強豪選手でした。

 

山陽女子高等学校3年の時、高校総体で初優勝したのを契機に快進撃。

日本女子体育大学2年だった1969年、全英オープン選手権女子シングルスで初優勝を果たすと2年連続を含む計4度優勝。

世界女子団体選手権(ユーバー杯)も3度制覇、全日本総合バドミントン選手権大会でも5年連続を含む6度の優勝を飾り、1960年代から1970年代にかけて女子シングルスで圧倒的な強さを見せ「女王」の尊称付きで呼ばれました。
全英オープンは1977年に世界選手権が創設されるまで事実上の個人の世界選手権だったので、世界一に4度君臨したことになります。

この偉業を称え、持ち回りの純銀製優勝プレートの永久保存を許されました。

 

湯木博江のプロフィール

生年月日 :1948年11月15日
没年月日: 2011年9月7日(満62歳没)
性別 :女性
国籍 : 日本
出身地 :広島県安芸郡
選手情報
利き腕 右
種目 女子シングルス
主な戦績
国際大会 全英オープン優勝

(1969年、1974年、1975年、1977年)

1986年、バドミントンの世界大会で30回以上の優勝経験を持つ女王・湯木博江は新沼謙治と結婚。

2002年には日本選手で初めて世界バドミントン連盟の殿堂入りを果たし、日本協会の強化委員を務めていました。

もともとは、2人はバドミントンの弟子と師匠という関係だったのです。

新沼謙治の地元の岩手県大船渡市でバドミントン好きの新沼を指導したことがきっかけで知り合いました。

湯木博江の弟子は新沼謙治なのです。

バトミントンが縁で湯木博江と新沼謙治は交際をはじめます。

 

結婚式は、新沼のふるさと大船渡市で盛大に行われました。

 

一方夫である新沼謙治はというと。
岩手県大船渡市出身。大船渡市立第一中学校を卒業後、集団就職により栃木県宇都宮市にある左官業の会社で働く。

まるで朝ドラ「ひよっこ」の世界です。

歌を志したのは日本テレビ系のオーディション番組『スター誕生!』に応募したのがキッカケです。

予選会で4度落選し、5度目の予選で本戦に出場。

1975年の決戦大会で五木ひろしの『哀恋記』を歌って合格した。オファーしたプロダクションは男性史上最多の17社。

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湯木博江の死因は

おなくなりになったのは、2011年9月7日、

甲状腺癌のため東京都内の病院で死去。

夫の新沼謙治はステージのため臨終には立ち会えませんでした。

62歳没。通夜は東京都大田区の臨海斎場で営まれ、夫の新沼が喪主を務めました。

 

新沼謙治のプロフィール

1956年、岩手県大船渡市生まれ。
勉強は苦手で、中学を卒業後は、父の勧めもあって就職。出稼ぎに出ていた叔父を頼り、栃木の宇都宮で左官職人に弟子入りした。その時に開かれたのが、花見を兼ねたカラオケ大会。そこで優勝した新沼は、当時人気だった番組「スター誕生」に出ることを勧められる。
当時19歳だった新沼は、予選会が行われていた有楽町のよみうりホールへと足を運んだ。歌には自信があった新沼だが、審査は厳しく、いつも2次予選で落選。5度目の挑戦でついに予選大会を通過し、念願の決戦大会へと進出しました。
1976年には「おもいで岬」でレコードデビュー。同年にリリースした「嫁に来ないか」は最大のヒット曲となり、この年のレコード大賞の新人賞を受賞、紅白歌合戦にも出場しました。

 

2年間、1日も休みなく、1日15本の仕事をこなすという多忙なスケジュールだった、と当時を振り返っています。
一男一女の子宝にも恵まれ、まさに順風満帆の結婚生活。妻は家庭だけではなく、仕事の面でも新沼を支えてくれた。コンサートの客は半分以上、妻のバドミントンの関係者だったという。
そして迎えた2011年。この年は、新沼にとって悪夢のような1年となった。

3月11日、東日本大震災によって故郷の大船渡が津波にのまれた。

 

その半年後の9月には、がんを患っていた妻が62歳の若さでその人生の幕を閉じました。

東日本大震災と奥さんの悲しい死が重なった現実。

 

被災地支援のコンサートのため、山形に行っていた新沼は、妻の最期を看取ることができなかったのです。

その翌日も、新沼は被災地でのコンサートの舞台に立っていました。

辛くても公演に穴を開けることはプロとして出来ません。

それは亡き妻も絶対喜ばない事。

 

新沼が出てきた時、会場中が涙に包まれ、新沼も涙で歌が歌えなかったといいます。
震災、そして、妻の死から1年後…。子どものころによく遊んだ故郷の盛川を散歩していた時、新沼にある曲の詩とメロディーが浮かんできました。

それを曲にした「ふるさとは今もかわらず」は、周囲の人から「博江さんが君に書かせてくれた」といわれたといいます。

全国の学校や合唱団からは、譜面を依頼する声が殺到し、多くの被災者をこの歌で励ましてきました。

 

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